ほどける過去、繋いだ手

 アレスは、太陽を背負うように建つシルベール城を見上げた。アグストリアに帰り着いて三ヶ月。ようやく、祖国は統一されようとしていた。
 
 三ヶ月前。そばにデルムッドとリーン、数えるほどの騎兵を連れて帰国を果たしたアレスを、民は熱烈に歓迎した。魔剣ミストルティンの存在が、エルトシャンの嫡子である証となり、彼をアグストリアの希望たらしめた。
 父の代から残っていた数少ないアグストリアの忠臣たちは、アレスの帰国を知るなりすぐさま駆けつけた。そして、瞬く間に彼を王に担ぎあげた。元よりそのつもりだったとはいえ、あまりに早すぎる即位だった。
 意思とは無関係に、自分自身を中心に物事が進んでいく感覚の気味悪さに、アレスは内心で顔を顰めた。セリスの苦しみの欠片を、その立場に立ってようやく理解した。
 アレスを抱え上げた忠臣たちは、国の統一を望んでいた。帝国が倒れたことで民が立ち上がり、一部の土地は圧政から解放されたという。しかし、未だに権力者が幅をきかせて民を虐げている地域がいくつもあった。さらに、解放された市民たちも、土地を納められる者の不在によって、困窮している状況は変わらないという。
 国は、アレスの記憶に薄らと残る騎士たちの精悍な国から、貧しい土地へと変化していた。
 
 すでに権力者が倒された地域をデルムッドやリーンに任せ、アレスは各地に散る権力者たちを順々に倒して回った。
 最後に残ったのが、今見上げているシルベールだった。
 かつてアグストリア城を追われたシャガールが、父エルトシャンに連れられて拠点とした地。それがここ、シルベール城であると、アレスはすでにフィンから聞いていた。
 他にも、かつてのアグストリアの状況の多くを、アレスは、フィンやオイフェから教わった。
 話を聞くほど、アレスには父が何のために命を懸けたのかがわからなくなった。
 何故、父を疎むシャガールに、親友と敵対してまで忠義を示さねばならなかったのか。殺されるだろうと分かっていながら、シャガールに刃を向けなかったのか。
 嘆くアレスに、オイフェは苦い顔をしながら言った。
「エルトシャン様は、愛する国を守りたかっただけなんですよ」
「守るためなら、愚王も生かすというのか」
「……あの方はアグストリアの騎士でした。騎士は他の主を考えないものです。フィン殿に聞いても、きっと同じことを言います」
 フィンに訊ねに行かなかったが、それでも、アレスはオイフェの言葉が全てであることを理解した。
 オイフェとフィンの振るう槍には、いつも亡き主君への想いがあったからだ。
 
 シルベール城は、アグストリア王城と比べれば質素だが、他の城と比べれば大きな城だった。城を取り囲むように塀があり、城と塀の間には広い庭があった。
 庭に建つ壊れた石像は、蔦が絡まったまま放置されていた。おそらく、アグストリアに関わる石像なのだろう。その姿に民が苦しんできた年月を思い知らされる。
 塔の上には、なにやら人らしき影があった。人影はすぐに引っ込み、その後は現れなかった。監視役だと思われるが、堂々と庭を進んでも攻撃がないあたり、相手に応戦するつもりは無さそうだ。
 帝国が倒れた途端に民の反乱を恐れて引きこもった権力者が、兵士たち相手に戦えるはずもない。
 慌てふためく権力者の姿を思いながら、アレスは手綱を持つ手を握りしめた。
 途端に、ようやくアグストリア全土を取り戻せる想いと、父の死没地に対する感傷が同時に押し寄せてくる。
 脳裏には父だけでなく、共に世界を導くと約束した友セリスの姿もあった。
 数年前まで一介の傭兵に過ぎなかったアレスにとって、国を背負う重荷は想像を超えるものだった。何千、何万の民の営みを背負う息苦しさを感じた時、アレスは決まってセリスを思い出した。
 トラキアに進軍して以来、背負いきれない責任に苦しむセリスに、アレスは何もしてやれなかった。それでも、セリスはアレスが誤解を認めて歩み寄ろうとしたことを純粋に喜んでくれた。
 グランベルでの別れ際には、約束を交わした。父が果たせなかった分まで、共に世界を導くと二人は誓い合った。
 アレスは父の遺志を継ぐため祖国に戻ったが、今のアレスを支えているのは、セリスと交わした約束だった。
 王家を支え続けた父が、アレスが王となることを喜んでくれるのか、アレスには自信がなかった。
 
 庭を超えて建物の中に入ると、アグストリアらしい絵画に混ざって、グランベルの調度品が目についた。
 へっぴり腰の兵がまばらに攻撃を仕掛けてきたが、アレスが戦う前に、周囲の兵が彼らを捕えあげた。
 玉座の間に入ると、中にいた小太りの権力者は、戦う意思も見せずに降参した。
 これでようやく、アグストリアの全土が戻ってきた。
 アレスは、捕らえた者を牢に運ぶよう命じてから、父が処刑された場所を探した。
 ようやく見つけた拷問部屋には、処刑道具も並んでいた。最近使われた形跡のある道具もある中、断頭台は埃をかぶっていた。
 アレスは埃を手で払い、血の跡を探した。けれど、木組みのどこにも、赤黒い跡はなかった。誰も、この道具で処刑された者はいないのだ。
 嫌な汗がひたいを伝う。身分ある騎士の処刑は、断頭台を用いることが慣例のはずだ。
(まさか、父上は王の癇癪に殺されたとでも言うのか)
 道具を買い替えただけだと信じたかったが、被っていた埃の量がそれを否定した。
 父は、騎士としての処刑を受けることも許されなかったのだ。
 
 
 アグストリア全土を取り戻したアレスは、正式な即位式を執り行った。
 どこの国も再興で忙しい中、各国から王や使者が訪ねてくれた。
 即位式のあとは、ささやかながら各国の王や使者をもてなした。皆、一年前には同じ軍で戦った仲間ということもあり、昔話や近況の報告で盛り上がっているようだった。アレスは何となく空気に馴染めず、席を外した。
 
 アグストリア王城の庭で夜風に当たっていると、柔らかな気配を感じた。この気配には馴染みがあった。
「セリスか」
「よくわかったね」
 セリスは特に何かを話すでもなく隣に立っていた。
「皆のところに居なくていいのか」
「アレスがそれを言うの?」
「それもそうだな」
 風が吹くばかりの静かな時間が流れていく。セリスと共に過ごす静かな時間を懐しみながら、アレスは安心して空を眺めた。
「何かあった?」
「元々騒がしい場所は苦手だ」
「知ってるよ、そうじゃなくて……」
 変わらないセリスに安堵するアレスに反して、セリスはアレスの変化を感じているようだった。
 心あたりはある。シルベールを取り戻した日からずっと、父の件が心に引っかかったままだった。
「きみが悩んでいるように見えたから」
 セリスの口調は、王ではなく、個人としてのものだった。個人の会話なら話しても構わないだろうという思いと、セリスを悩ませてしまうかもしれない葛藤で、アレスは中々口を開けなかった。
 アレスの父エルトシャンの死に、セリスの父シグルドが関わっていることを二人は知っている。二人の父が互いを信じ合って最期は別れたことも。
 だからこそ、理解しあったのちに父が得たであろう屈辱を、セリスに話して良いのかがわからなかった。
「アレス、違ったらごめん。もし僕のことを思って黙っているのなら、どうか話してほしい。僕もきみの力になりたいんだ」
 その瞬間、アレスは全てを話す気になった。
 俺がお前の力になる。かつて、全ての責任を抱えようとするセリスに、アレスがかけた言葉を思い出したからだ。
「お前にとっても嫌な話だとは思うが、聞いてくれるか?」
「聞くよ、全部」
 セリスの手が、勇気づけるようにアレスの手を握った。細身ながら苦労を知っているごつごつとした手の感触。
 アレスは、父の最期に対する予想を、包み隠さず言葉にした。何度か言葉に詰まったが、セリスは真摯な眼差しで続きを待ってくれた。
 心に引っ掛かるばかりで何もできずにいた重荷をすべて言葉にすると、少しだけ気が楽になった。
「俺は父上に最後まで騎士であって欲しかったんだろうな……」
 すべてを話し終えた時、繋いだ手からセリスの震えを感じた。セリスは震えたまま、悲しみを堪えるようにつぶやいた。
「それでも、エルトシャン王は立派な方だよ。国に裏切られたとしても、エルトシャン王も国を愛し抜いたんだ」
「そうか、お前の父も……」
「うん。逆賊として殺されても、僕の父上は、国とそこに暮らす民を大切に思っていた。どんな最期だったとしても、父上たちは立派だったんだ。それだけは絶対に揺らがないよ。それに……」
「父上たちの無念を晴らすなら、人の悲しみを知り、国と民を救うしかない、だよな。お前に話してよかった」
「ごめん、僕のほうが取り乱しちゃったね。きみが話したがらなかった理由もわかるよ」
「今は、話してよかったと思っている」
 セリスと手を繋ぎ直し、繋いだ手に力をこめる。
 父上を失ってからずっと、セリスはアレスを支える軸だった。
 昔は、すべての悲しみの矛先として、今は前を向くための標として、アレスは彼を頼っていた。
「もう、戻れそう?」
「ああ」
「よかった」
 セリスが、道を示すようにアレスの手を引いた。離すタイミングもなく手を繋いだまま、二人は賑やかな会場に戻った。