アイロニックマジェスティ

「カミュ、いいことを教えてやろう」
ソファーに腰掛けたミシェイルは、優美に足を組んでいた。一人分の軽食を置くのが精々といった小さな丸テーブルに、空のワイングラスが二つ並んでいる。その背後にひかえるボトルのラベルを読もうとカミュは目を細めた。
「ふ、俺の話に興味はないか」
 ミシェイルはつまらないと言いたげにワインボトルを掴んだ。
「貴公から、いいことを聞いた試しがないからな」
 脳裏には、以前同じように話しかけてきたミシェイルに唇を奪われた記憶が鮮明に浮かんでいた。
「さては、貴様まだ根に持っているのか。大陸一の騎士ともあろう男が、こうもウブとは知らなかった」
 ミシェイルは喉を鳴らして笑った。
 透明だったワイングラスに、血のように深い赤の液体が注がれていく。ボトルをあけ、ワインがグラスを満たすまでの手つきは、川が流れるように自然だった。
「……マケドニア王は病死ではなかった。と言えば、貴公にはわかるだろう」
 ミシェイルは数回ワイングラスを回して、グラスの縁に口づけた。形の良い喉が上下にゆれる。口の端についた液体を指で拭うと、ミシェイルはその指を赤く染まった舌で舐めた。
 カミュは、ミシェイルの言葉を信じられずにいた。ミシェイルの猟奇的な影を宿した瞳は「俺が殺した」と言っていた。しかし、カミュの知るミシェイルは、少なくとも野望だけで実の親を殺めるような男ではなかった。冷血に見える合理性の裏に、他者の感情を理解する優しさを持つ男だった。例えば、妹に冷淡な態度で振る舞う時、ミシェイルの瞳には一瞬だけ苦悩が浮かぶ。全て割り切ったような振る舞いをしながら、人間らしさを捨てきれずにいることを、カミュは知っていた。
 そうでなければ、カミュはとうの昔にミシェイルとの交友を切り捨てている。
「殺したのか」
「俺が王になるために邪魔だったからな。ちょうどこれと同じワインに毒を盛ってやった」
 流れるような洗練された動きの中で、一瞬不自然に震えた手をカミュは見逃さなかった。テーブルにワイングラスを置く時に、雑音が混ざっていた。
 貴公は強い男だな。私はきっと、貴公のような選択をして気丈に振る舞うことなどできぬよ。
 カミュは本心を胸の内にとどめて、眉間に皺を寄せた。精一杯、不愉快そうな顔をつくり込む。意識的に、拳を固く握りしめた。
「……帰る」
 ミシェイルが打ち明けてきたのは、きっと、カミュがこの手の殺しをひどく嫌うと知っていたからだ。
 カミュの態度に満足したらしく、ミシェイルは口を大きくあけて笑った。
「せっかく貴様の分も用意してやったのに、もう帰るか」
 ミシェイルは、まだ使われていないグラスを手元に寄せた。カミュを誘うように、とく、とく、とゆっくり音を立ててワインを注いでいる。
「貴公に毒を盛られてはたまらないからな」
 カミュは意地悪く鼻を鳴らした。ミシェイルは満足げにカミュを眺めてから、テーブルに視線を落とした。
「ならば、次からは銀食器を持ってこい。毒を疑われてはたまらない」
 指の長い綺麗な手がグラスを持つ。
 注ぎたてのワインが大きな口の中に消えていった。カミュは静かにその様子を眺めていた。
 やがて、空になったグラスがテーブルに戻された。二つのグラスに赤い名残がうっすらと残っている。
 ミシェイルは、それ以上ワインを注ごうとしなかった。
「……考えておこう」
 カミュは呟き、体を翻した。ミシェイルはまた笑っていた。父殺しなどしていなさそうな、無邪気な笑い声だ。
 部屋を出ながら、次に会った時は用意されたグラスで酒を受けとってやろうと、カミュは思った。