熱帯夜

【あらすじ】
 二人は交際歴半年の恋人。ある日スカサハが勇気を出して「一緒に寝ませんか?」とシャナンを誘うが、シャナンは衝撃の鈍感さを発揮する。昔よくしていた添い寝をすると思い込んでるシャナンと関係を進めたいスカサハの攻防戦が今始まる!

 肌を焦がすような日が降り注ぐイザーク王都。シャナンは、数週ぶりにスカサハと剣を交わした。
「また腕を上げたな」
「本当ですか?」
 剣の腕を褒められた時、スカサハは心の底から嬉しそうに笑う。シャナンが教えられることはもう何もないと言うのに、ついスカサハと剣を交わしたくなるのもこのためだ。
 額から流れる汗をスカサハが腕で拭った。湿った髪が腕の動きに従って一つの流れをつくりだす。
「そこに手拭いがあるだろう」
 シャナンは長髪を束ねた結び目から髪を持ち上げ、うなじを拭いた。額からも、首からも、脇からも、汗はとめどなく流れ出ている。
 スカサハは手拭いを首にかけたまま、流れてくる汗を手の甲で拭っていた。
「最近は、夜も暑くて参ってしまうな」
 シャナンは、最早ぬるま湯である水を飲んだ。
「そうですね。でも、俺の部屋は多分シャナン様の部屋より涼しいですよ」
 水を飲みこむと、シャナンは手に持った水筒をスカサハに渡した。
「そうなのか?」
「シャナン様のお部屋は日当たりがいいですから」
 スカサハは受け取った水筒に躊躇いなく口つけた。
「今夜、確かめに行ってもいいか?」
 その瞬間、今にも水を吹き出しそうな勢いでスカサハが咽せた。乾いた咳を繰り返すスカサハの背を、シャナンは慌ててさすった。
「大丈夫か?」
 少しして落ち着いたスカサハが、遠慮がちに訊ねてきた。
「は、はい。大丈夫です。それで、その、確かめに行くというのは……」
「ああ。今夜、お前の部屋に行ってもいいか?」
 スカサハはすっかり黙り込んでしまった。悩ましげに頭を抱える姿を見る限り、部屋に入れたくない事情があるのかもしれない。
 もしかしたら、部屋が散らかっているのだろうか。昔からスカサハは身の回りを整理整頓していた記憶がある。だからこそ、運悪く散らかった状態にある部屋を見せたくないのだろう、とシャナンは想像した。
「おまえが嫌なら我慢するが……」
「いえ! あの、シャナン様。その……」
 一度口をつぐんだスカサハは、続きを促される前にもごもごと聞いてきた。
「……今夜、一緒に寝ませんか?」
 大きな体を縮こめてシャナンの服の裾を申し訳ばかりに掴む姿に、シャナンは懐かしさを覚えた。
 スカサハが幼い頃は、たまにこうして添い寝を求められていた。まだ十にも満たないスカサハは、シャナンの服の裾をちょこんと握り、言ってもいいのか悩んでいるような話し方で、添い寝を求めてきたのだ。
 部屋の涼しさを確認するだけのつもりだったが、その提案はシャナンにとっても魅力的だった。昔のようにスカサハと手を繋ぎ、心安らぐ時間を過ごしたいと思った。
「うむ、そうするとしよう」
 二つ返事で了承すると、スカサハの緊張した面持ちが一瞬で崩れた。素朴で心温まる笑顔に、シャナンもつられて微笑んだ。
 
 
「スカサハ、入っていいか?」
 話しかけると、扉の向こうからどたばたと慌ただしい音が聞こえた。
 しばらくして現れたスカサハは、肌の色が薄らと透けて見える白いローブを纏っていた。
「どうぞ……」
 スカサハは何やら緊張している様子だった。シャナンはぎこちなく歩く姿の後ろをついていった。
 部屋は過剰なほどに片付いていた。シャナンが来ると決まってから張り切って掃除をしたのだろう。シーツにも、ほとんど皺が残っていなかった。
 ソファに脇目も振らずベッドに座ったスカサハに、シャナンは思わず問いかけた。
「まだ寝るには早くないか?」
「え、あ……すみません」
 公務を終えすぐに支度したため、まだ日頃の就寝時刻より二時間は余裕があった。
 スカサハは、しょんぼりと俯いてしまっている。シャナンはかすかに罪悪感を覚えた。
「だが、おまえが嫌でなければ私も座らせてもらおう」
「はい!」
 今度は、スカサハの顔がぱっと綻んだ。スカサハは言葉数こそ少ないが、決して無表情というわけではない。半年前に交際を始めて以降は、一層表情が豊かになっていた。その中でも、笑顔はひとしおシャナンを幸せにした。
 シャナンは肩同士が触れ合う距離に座り、スカサハの膝の上の拳にそっと自分の手を重ねた。
「安心しろ、綺麗な部屋だよ」
 スカサハが緊張している原因を、シャナンは部屋を見られる恥ずかしさにあると考えていた。しかし、その言葉でスカサハが緊張を解く様子はなかった。
 シャナンも口数が多い方ではない。二人の会話は雨上がりの軒先から水が滴るように、一定の沈黙を挟みながら進んだ。
「おまえはどうしてそんなに緊張しているんだ?」
「シャナン様は、どうしてそんなに平気なんですか?」
 シャナンは口元に手を添えてしばらく考えた。
「おまえと二人で過ごす時間は、いつだって私にとっての宝だからかな」
 スカサハはその発言の真意を探るように見つめてきた。
「……キスしてもいいですか?」
 シャナンは返事の代わりにスカサハの唇に口づけた。一瞬の触れ合いで、スカサハの緊張は随分とほぐれたらしい。スカサハは離れていったシャナンの口に容赦なく舌をいれた。
「っ……ん、」
 息継ぎがうまくできず、喉奥から声がもれた。そのままシャナンは組み敷かれた。
「シャナン様、やっぱりもういいですか?」
「いいって、何がだ?」
 いつもと違うスカサハの雰囲気に、シャナンはすっかりたじろいでいた。
「一緒に寝るって約束を……」
 しゅん、と悲しそうに目を伏せるスカサハ。一緒に寝る約束、組み敷かれた状況、いつもより激しい口づけ。そこで、ようやく一つの思考に行きついた。
 ——寝るって、もしかしてただの添い寝ではなく、そういう……。
 顔が一気に熱を帯びた。
 シャナンは、自分はそういう行為と無縁の人生を歩むものだと思い込んでいた。おかげで、スカサハと付き合ってからも、そういう行為への理解が欠けていた。
 思案しているうちに、スカサハはもう一度シャナンに口付けてきた。
「いいんですよね?」
 開き直ったのだろうか。今度はたくましく、念を押すような聞き方だった。両腕を押さえつけられたシャナンに逃げ場はない。
 すっかり動揺したシャナンは、耳まで熱が溜まっているのを感じていた。
「……す、少し、待ってくれないか」
「もう待ちたくないです」
 スカサハは、二人が恋人として過ごした月日の重みを伴う面もちで訴えかけてきた。しかし、シャナンにも心の準備というものがある。
「私は、添い寝をするものだと、思っていたんだ」
「はい……?」
「おまえと手を繋いで昔のように寝るものだと思ってたんだよ」
 念のため繰り返すと、スカサハはへなへなと崩れこんでシャナンの肩に顔を埋めてきた。
「前から薄々思ってはいたんですけど、シャナン様ってものすごく鈍いですよね」
「おまえがハッキリと誘わないからだろう」
「あーもう、そういうところが鈍いって言ってるんですよ。俺たちって恋人ですよね? だいたい、今までだって何度も誘っていたのにあなたは全然……」
 そこまで言って、スカサハは最悪の可能性に気付いたように恐る恐る確認してきた。
「あの、さすがに、俺が今日初めて盛ってきたとは思ってませんよね?」
「さかっ——。一体、いつの話をしている」
 スカサハはシャナンの上から退いて横並びに寝転がると、呆れたようにため息をついた。
「やっぱり……。二週間前、あなたが夜に部屋に誘ってくれたことがありましたよね?」
「ああ、光虫が綺麗だったからな」
「その時、俺、あなたにキスしましたよね。激しいやつ」
 シャナンはその時のことを思い出して、頬をかいた。
「ああ、されたな……」
「その後、あなたご自分で何を言ったか覚えてますか?」
「いや……」
「ではそろそろ寝るか。スカサハ、来てくれてありがとう。ですよ!」
 その時よほど衝撃を受けたのか、スカサハの声は力強かった。
「う、うむ……」
「うむ、じゃないんですよ。とにかく俺は我慢してきたんです。もう限界です。シャナン様、今すぐ覚悟を決めてください。俺、今日こそはやっと伝わったと思っていたんですから」
 開き直ったスカサハにいつもの無口の影はない。二人の会話で流れる沈黙は、重ねた我慢の嘆きへと変化していた。
「おまえの考えはわかった。わかったから、その、……その足癖の悪さはどうにかならないのか」
 先程から、スカサハは横向きになり、膝でシャナンのものを刺激してきていた。
「なりません」
「駄々をこねないでくれ」
「駄々もこねたくなります。もういいですよね、俺に抱かれてください」
 その強引さに、シャナンはスカサハに交際を迫られた時のことを思い出していた。
「いつもの臆病はどこにいったんだ」
「あなたがあまりにも気づいてくれていなかったので吹き飛びました」
 半年前にした会話をそのまま綺麗に繰り返す。
 そしてシャナンは知ってしまっている。ここまで吹っ切れて内心を明かし始めたスカサハは、中々に諦めが悪い。
「シャナン様は俺とするのが嫌ですか?」
「そうではないが……色々と準備があるだろう」
「なら、それまで待つので今日しましょう」
「だが、添い寝は……」
「それはあなたの勘違いです」
 シャナンは深くため息をついた。どうやら逃してくれるつもりはないらしい。
「誰に似たのやら……」
 困り果てて呟くと、スカサハは子犬のように騒ぎ立てるのをやめて、いじけた様子で聞いてきた。
「俺のこと嫌いになりましたか?」
「これで嫌いになるなら、交際を受け入れてないよ」
 スカサハの方を向いて、頭を撫でた。シャナンの髪より少し硬い質感が手に伝わってくる。
「おまえは本当に極端だな」
「あなたに対してだけですよ」
 スカサハは得意げに胸を張った。服が着崩れて、たくましい肉体が直接視界に入る。スカサハが全力で押さえつけてきたら、と思わず考え頭をふった。
「……そうでなければ困る」
 シャナンはスカサハに近づくと首にキスをした。
「だが、今日はこれで我慢してくれないか?」
「……また、俺に我慢させるおつもりですか?」
 上手くあしらったつもりだったが、スカサハは誤魔化されてくれなかった。二人はしばらく無言で妥協点を探り合った。普段無口なスカサハの目は、感情を雄弁に語る。心の底からシャナンが好きで仕方ないと、呆れるほどに訴えかけられた。
「十五分。それ以上はしないからな」
「はい!」
 言うが早いか、許しを得たスカサハは着崩れた服を纏ったままシャナンの耳たぶをはんだ。
「真っ赤ですね。俺の部屋、涼しくなかったですか?」
「あまり意地悪を言うと、先程の許しは撤回するぞ」
「大丈夫です。あなたを逃がすつもりはありませんから」
 夜はまだ長い。二人は汗をかくことも厭わずにあつい夜を過ごした。