欲しいのは、そっちじゃない

 日差しが強い。ぽたり、とこぼれ落ちた汗が土の上に滲みをつくった。スカサハの体からは際限なく汗が滲んでいた。向かいにいるシャナンの額にも、一瞥しただけでわかる玉の汗が浮かんでは滴っている。
「暑いな」
 シャナンは首にかけた手拭いで汗を拭いた。
「一度休憩しますか」
「そうだな」
 スカサハは滲んだ汗を時々素手で拭いながら木陰へ移動した。先に座ったシャナンの隣に腰掛ける。
「しかし、強くなったな。もう私が相手では練習にならないだろう」
「そんなことありませんよ。俺にとってシャナン様の剣は憧れです」
「だが、私の剣は衰えるばかりだ」
 シャナンはひっきりなしに滲む汗を拭いている。深刻そうな様子もなく、ただ淡々とした事実として衰えを受け入れているようだった。
 スカサハは先ほど交わした剣を思い出した。たしかに、スカサハが剣を習い始めた頃と比べればシャナンの剣速は下がっていた。しかし、剣のすべてが速さにあるとは思えない。最近、シャナンの剣には以前に増した力強さがあった。
「老成って言うらしいです」
「何がだ?」
「あなたの言う、衰えです。だいたい、剣は速度が全てではないと教えてくれたのはシャナン様ですよ」
 シャナンは汗を拭う手を止めた。意外そうに見開かれた目がまじまじとスカサハを見つめてきた。全身の凛とした印象に反して、シャナンの目は少女のように丸々としている。
「そうだったな」
 シャナンの額を伝う汗が、間も無く目に流れ込みそうだった。スカサハは首元の手拭いを奪って、流れる汗を拭ってやった。拭いやすくするためか、シャナンの瞳が閉じられる。
 その瞬間、スカサハの脳裏に、この場にそぐわない閨での営みが浮かんでしまった。熱に浮かされ浮かんだ汗や飛び散った液を拭う時、シャナンは同じように瞳を伏せる。長く整ったまつ毛が、瞳を開けるタイミングを見計らうように細かく震えるところまで同じだった。
 シャナンは、そんなスカサハの邪な感情には気づかず、瞳を閉じたまま純粋な賛辞を贈ってきた。
「だが、私の剣が老成しているというなら、おまえはそれを上回る速度で上達しているということになるな。さすがは私のスカサハだ」
 私のスカサハだ。
 シャナンの言葉がこだまする。スカサハは、もうほとんど汗の残っていない顔を拭い続けた。その間にも、自分の額からは次々と汗が湧きでて額や頬を伝っていく。シャナンのまつ毛はぴくぴくと揺れていた。向けられた邪な願望に気付く気配はない。
 そろそろ不自然になるだろうか。
 スカサハはシャナンの額から手拭いを離すと、自分の汗も拭った。そのまま布を力強く絞る。染み込んでいた二人の汗がじわりと汗が滲みでた。茂っている葉の上に丸い粒が弾かれて残る。
「シャナン様は無自覚すぎます」
 若干の不満を抱きながら呟くと、目をあけたシャナンが首を傾げた。
「何のことだ?」
「わからなくていいですよ」
 穏やかに吹く風が葉を揺らす。火照った体の熱が冷まされ、汗がひいていった。
 一瞬強まった風が落ち着いてから、シャナンはぽつりと呟いた。
「確かに、剣の師にはいつまでも強くあって欲しいよな。無神経なことを言ったかもしれない。すまなかった」
 まだ火照りの残った手が、あやすように優しく頭を撫でてくる。
(そういう意味じゃなかったんですけど……)
 スカサハは口から飛び出しかけた言葉を呑み込んで、シャナンの気が向くまま頭を撫でられた。
 見晴らしのいい外で、あなたを抱きたくて仕方なくなりました、なんて言えるはずがない。
 言葉にできない欲求を抱えたまま、スカサハは優しく触れている手の感触を覚えるように目を瞑った。