悪戯もほどほどに

 シャナンが初めてハロウィンという文化を知ったのは、シグルド達と行動をするようになって半年が過ぎた頃だった。オイフェに呼ばれて部屋まで遊びにいくと、普段とは意匠の異なる衣服を手渡された。
「シャナンはこれね」
 受け取った衣服は、グランベルの騎士が着る服のような形をしていた。白と黒とのコントラストが明確な服で、黒いマントの裏地は血のように赤かった。
 大きさだけが違う同じような服をオイフェも手にしていた。シャナンは慣れない釦に手間取りながら渡された服を身につけた。きっちりとした服は首元が苦しく、少し落ち着かない。
「シャナン、似合っているよ」
 言いながら、オイフェは先の細いブラシで紅を口元に塗りつけてきた。
「はみ出してる気がするんだけど」
「これでいいんだよ」
 口の端から飲み物をこぼした時のように、オイフェは自分の口にも赤い筋をつけた。
「今日はハロウィンだから」
「ハロウィン?」
「そう、大人がお菓子をくれたり悪戯されたりしてくれる楽しい日なんだ」
 イザークでは馴染みない文化だったが、オイフェの話を聞くだけで心が弾んだ。
「楽しそう!」
「シャナンならそう言うと思った」
 シャナンはオイフェと並んでシグルド軍の兵達に声をかけた。シャナンがシグルド達に合流した直後とは異なり、マディノに一時的な駐留をしている今は皆にゆとりがあり、子供達の遊びにも快く乗ってくれた。
 普段は目にすることがないほど沢山の菓子も手に入り、心がぽかぽかと温まる。お菓子を食べれることよりも、シャナンが皆に受け入れられていると実感できたことが嬉しかった。
「オイフェ、ハロウィンって楽しいね」
 シャナンが笑うとオイフェも笑った。シャナンは一週間あっても食べきれるかわからない大量のお菓子を抱えながら、自分が王に即位した時にはイザークにもハロウィンを伝えようと思った。
 
 時は流れ、シャナンは十六になった。もう立派な大人だと言われる年だ。
 ひっそりとした暮らしの中で、シャナンはハロウィンのことを思い出していた。祭りにも行けず、我慢ばかりの子供達に何か思い出に残る経験をさせてやりたかった。
「オイフェ、子供たちにハロウィンをしてやらないか?」
「でも今はどこも困窮していてお菓子を用意するどころじゃないよ」
 童顔を気にして髭を伸ばし始めたオイフェが、困ったように顎に手を添えた。
「村の皆を巻き込まなければ良い。俺達だけならできるだろう」
「……仕方ないなあ。ちゃんとその説明もしてあげようね」
「むろんだ」
 シャナンがかつてオイフェに用意してもらったような立派な衣装も用意できなかったが、それでもハロウィンは子供達にとって楽しみなイベントの一つとして定着した。
 シャナン達は毎年工夫して菓子を用意し、ハロウィンに備えた。エーディンの作る素朴なお菓子は特に子供達に人気だった。皆が褒めると、ラナとレスターも得意げにした。
 わんぱくな子供達は、全員で一周してお菓子を貰ったあとにもう一度やってきて悪戯もしたがる。普段は大人しいセリスやスカサハも、この時ばかりは年相応の子供のように振る舞った。子供達の悪戯は手の込んでいるものから簡単なものまで沢山あった。ひたすらくすぐられたり、顔に落書きをされたり、心臓に悪い手品を見せられることもあった。
 やがて子供達が成長するとハロウィンも実施されなくなり、その時に寂しがったのはむしろ大人達だった。
 
 さらに時が流れ、シャナンはイザーク王国の国王となった。共に帰国したスカサハの支えもあり、帝国の圧政で疲弊していた国も随分と安定してきた。
 冷たい風が吹くようになり、シャナンはかつてオイフェに誘われ初めてハロウィンを知った時の気持ちを思い出した。
「スカサハ、イザーク王国にもハロウィンの文化を伝えようと思うのだが、どうだろうか」
 シャナンの問いかけに、スカサハは目を輝かせて頷いた。
「きっと国民も喜ぶと思います。俺も、ティルナノグの生活の中でハロウィンを毎年楽しみにしていたんですよ」
「そうか」
 シャナンは思わず口元を綻ばせる。不自由な生活をしている子供達に喜んでもらいたいと始めた行動が、正しい形で身を結んでいたことが嬉しかった
「ならば、まずは祭りを催そう」
「さっそく準備します」
 スカサハはそう言って、いそいそと準備に出かけた。
 かつてシャナンが子供達を喜ばせたいと思っていたように、スカサハも同じ思いを抱いてくれているのかもしれない。もしそうであれば、これほど喜ばしいことはないと思った。
 
 迎えたハロウィン当日。スカサハとシャナンは祭りの様子をイザーク城の上から眺めていた。
 本当は賑やかな街中に混ざって子供達に菓子を配ってまわりたかったが、王がいると子供達が集まりすぎて祭りが混乱します、と臣下に止められ断念した。
「シャナン様、やっぱり参加されたかったですか」
 シャナンの残念がる気持ちを察したのか、スカサハは顔を覗き込んで訊ねてきた。
「人が喜ぶ姿は誰だって見たいだろう」
「そうですね」
 頷いたスカサハは、何かを悩んでいるようだった。シャナンはスカサハに気づかれないようその愛おしい横顔を盗み見た。
 やがて覚悟を決めるように頷いたスカサハは、突然シャナンの方を見た。スカサハと目が交わり、気まずさに頬をかく。
「シャナン様」
 勢いよく名前を呼んでから、スカサハは少し言いづらそうに体の前で指を遊ばせながら続けた。
「トリックオアトリート……です」
 予想していなかった言葉とスカサハのもじもじとした態度に、シャナンはたまらず吹きだし笑いをした。
 スカサハの気遣いが嬉しくも面白く、笑いが止まらなくなる。
「お前、言うならもっと堂々としないか」
 スカサハは抗議するようにシャナンを見据えた。
「俺だって、子供の真似をするのは勇気が必要だったんです。それで、お菓子は持っていらっしゃるんですか?」
 シャナンは心当たりを探るが、特に思い当たるものもなかった。だが、スカサハが相手ならそれほど厳しい悪戯もされないだろう。早々に諦め悪戯を受け入れることにする。
「あいにく何もないな」
「なら、悪戯されてください」
「何をするつもりだ?」
「くすぐる、とかでしょうか」
 スカサハも突発的な思いつきで内容までは考えてなかったのだろう。シャナンの顔色を伺うように提案してきた。
 その態度に、むしろシャナンの悪戯心が刺激される。
「私はその悪戯が一番苦手だ」
 しかめ面をしてみせると、スカサハは唸った。本当に別の案がないらしい。
「えっと、それでしたら……」
 しきりに悩むスカサハの額をシャナンは軽く指で弾いた。
「冗談だよ」
 スカサハが唇を尖らせて不満を露わにした。
「……シャナン様、酔われてますね」
 シャナンは賑やかなイザークの城下町の雰囲気に機嫌を良くしていたが、酒は一滴も飲んでいない。そのことは、スカサハも承知のはずだった。そのままを言葉にすると、大きな手で手首を掴まれた。
「だったら、俺のこと誘ってくれているんですか」
 壁に手を押し付けられ、シャナンは狼狽する。見つめてくる目は鋭かった。
「……っ! ど、どうしてそうなるんだ」
 スカサハとの行為は嫌いではないが、シャナンにとってはまだ気恥ずかしさが優っている。心の準備もせずに求められては耐えられるものも耐えられない。
 スカサハはシャナンの困惑を知ってか知らずか、ふと手を離して無邪気な顔をした。
「今のが悪戯です。……続けてもいいなら、続けますけど」
「……今は勘弁してくれ」
 スカサハはほんのり機嫌を損ねながら頷いた。シャナンはスカサハの感情に気づかなかったふりをして、活気付く城下町を眺めた。