聖戦の系譜

過ちの功名

 イザークの眩しい日差しを背に、駆けてくる馬の姿がある。馬に跨る人は、片腕をあげて手を振っていた。隣では、シャナンが居場所を伝えるようと、同じように大きく手を振り返している。スカサハはその様子をどこか他人事のようにぼんやりと見つめていた。
「オイフェ、やっと来たか」
「元気そうだね」
「うむ。お前もな」
 馬から降りたオイフェは、慣れた手つきで厩舎人に馬を預けた。
 その仕草をスカサハは意外だと思った。昔のオイフェは、落ち着いているように見えて何かと自分でやりたがる人だった。年長者として皆を支えなければいけない重圧もあったのだろう。些細な偵察すら、オイフェは必ず自ら足を運んだ。
「食事はイザーク料理で構わないか」
「気を遣わなくても、私は友人を訪ねただけのつもりだよ」
「ならば羊肉だな。グランベルでは食べる機会もそうないだろう」
「懐かしいな。楽しみにしているよ」
 二人が並び歩く数歩後ろを、スカサハは無言でついて歩いた。昔からそうだった。シャナンとオイフェが話すとき、スカサハに入り込む余地はどこにもなかった。快活な妹ラクチェならば、あるいは会話に混ざろうとするのかもしれないが、スカサハにはそこまでの勇気もない。
 二人の会話を聞きながら、ため息をつきたくなる。三年という年月は、ささやかに人を変えることはしても、本質までは変えてくれないらしい。
 今、シャナンの一番近くにいるのはスカサハだ。この自負は決して驕りではない。スカサハは昼夜を問わず王に尽くし、右腕として過ごしている。周囲には隠しているが、恋人、と言っても障りがない程度には特別な関係も築いていた。
 だというのに、スカサハとシャナンの間には隔たりがある。二人の関係は変わったようで、変わりきれていない。
 シャナンの態度は昔も今も子を見守る親のものだった。夜には少し形を変えるが、頻度はそう多くはない。誘うのも、ほとんどスカサハからだった。
 だからこそ、普段見られない姿に胸が詰まる。オイフェとシャナンが互いを支えあってきた年月に、スカサハは決してかなわない。互いとしか共有できない過去が二人にはある。そこに色恋の情がないと知っていても、やるせなさは消せない。

「……も、来……か、スカサハ」
 シャナンに名前を呼ばれ、スカサハは姿勢を正した。艶のある黒髪がふわりと舞い、黒目の大きな瞳と視線が交わる。
 沈みかけた夕日が眩しい。目を細めてじっと耐えると、オイフェもスカサハを見ていることがわかった。あけていたはずの距離も、手を伸ばせば届きそうなほど縮まっている。
「珍しい、聞いていなかったのか」
「す、すみません」
「気にするな、責めているわけではない」
 シャナンは言葉通り気にしていないらしく、いつもと同じ優しい声をしていた。けれど、スカサハは委縮して俯くことしかできなかった。たとえシャナンが許しても、スカサハ自身が許せない。
 スカサハは護衛という立場でここにいる。油断は、それだけ王を危険にさらす行為だった。一番近くで大切な存在を守るためには、本来、片時の油断も許されない。ましてや、今は大事な客人もいるのだ。何か起これば、当人同士は気にせずとも、国同士の問題に発展するおそれもある。
「またお前は……。私の強さを知っているだろう。お前が少し油断したところで危険はない」
「ですが」
「いいから聞きなさい」
 有無を言わせぬ力強さにスカサハは身構えた。そんなスカサハの様子に気づく様子もなく、シャナンは説教を始めた。
「お前は失敗を気にしすぎる。反省したことは、繰り返さなければ問題ないんだ。戦場であれば悠長なことも言っていられないが、今はそう危険もない。お前はいつも良くやってくれているよ。今のも疲れが出たのではないか。だから、武器の調達や書類の運搬くらいは他の者に任せろとあれほど――」
 幸い人通りは多くないが、近くを通った使用人たちの視線が刺さる。
 シャナンが日頃からスカサハに対して働きすぎだと感じていることは知っていた。スカサハからすればシャナンのほうが国のために力を尽くしているが、言い返したところで意味もない。「聞きなさい」と口にするとき、きまってシャナンは頑固だった。反省の色を見せるまで、決して言葉を止めてくれない。
 止まらない小言の助けを求めるようにオイフェを見る。オイフェは呆れた笑みを浮かべていた。懐かしさを感じているのかもしれない。ティルナノグで過ごしている頃は、年に一、二回はシャナンに叱られるスカサハの姿があった。ラクチェが叱られる回数はさらに多かった。
 日頃の説教が少ない分、シャナンの小言は始まると長い。友人のレスターがあまりの長さに驚いて「お前もラクチェも、よくシャナン王子の下で修行を続けられるな」とスカサハに耳打ちしてきたこともあるほどだ。
「大体、お前も王家の血を引いているということを理解しているのか。本来ならばお前にも護衛が必要だというのに――」
 延々と続く言葉を、委縮しながら受け止める。スカサハがシャナンの護衛を続けるためにしている我儘が、彼の王は気に入らないらしい。けれど、スカサハは他の何を犠牲にしても、シャナンを守り支えたかった。そのためならば、たとえ敬愛する王の言葉でも聞くつもりはない。
 意固地になっていることは否定しないが、スカサハにだって譲りたくないものがある。さらに、幸運にもここにはオイフェがいる。オイフェならば気持ちを理解してくれるはずだ。彼はシャナン以上に忠義を知っている。
 苦しい日々を耐え抜いてきた原動力が、シャナンの場合は恩であるが、オイフェの場合はシアルフィへの忠義だった。スカサハの抱える思いは、オイフェにより近い。
「シャナン、それくらいにしたら? スカサハが余計に気にするでしょう」
「……それもそうか」
 注意されると、シャナンは聞き分けよく小言を止めた。スカサハの期待通りだった。シャナンは昔からオイフェの言葉だけはよく聞いた。詳しいことは知らないが、皆を守るために二人で交わした約束が関係していることだけは知っている。

 まだ何か言いたそうにしながらも、シャナンは気まずそうに髪をいじった。主張しすぎないさっぱりとした香りが鼻をくすぐる。使用人が王の衣に焚きしめている匂いだ。
「スカサハ。お前が私を心配してくれるように、私もお前が心配なんだよ。わかってくれるな」
 子供に理解を求めるときの、あやすような言い方だった。実際、立場を無視して我儘を続けているのはスカサハだ。わかっているが、気分は晴れない。心配が嬉しい気持ちと、未だに子ども扱いを受ける落胆が、行き場なく揺れてしまう。
 一方でシャナンは、すっかりオイフェと再会したときの調子に戻っていた。
「スカサハ、今夜は私の部屋に来い。三人で飲むぞ」
 正直、気が進まない。スカサハは、オイフェのことも慕っている。慕ってはいるが、シャナンとオイフェがそろってしまうと居場所がない。
 どうしたものかと迷っていると、オイフェがため息をこぼした。
「シャナン、そんな誘い方したら、スカサハが断れないでしょう」
「うむ……。その、嫌か?」
 ああ、シャナン様を困らせてしまった。
 そう思うのに、ご一緒しますとは言えなかった。だからといって、誘いを断ることもできない。すべてが中途半端で嫌になる。
 困り果てていると、もう一度、オイフェのため息が聞こえた。
「きみが何を言っても逆効果だよ」
「だが、ほかに誘い方もないだろう」
 三回目のため息。
「これは、スカサハも大変だね」
「そんなことは……。ですが、俺がいたらお邪魔になりませんか? 久しぶりに会ったんです。お二人で話したいこともあるでしょう」
 スカサハの意を汲んでくれたらしく、オイフェが顎に手を添えて口ひげをなぞった。
「シャナン、今日は二人にしよう。きみも、スカサハに情けない姿は見せたくないでしょう」
「酒くらいで醜態は晒さん」
「いいから。スカサハを誘うのは明日以降でもいいだろう」
「うむ……」
「決まりだね」
 二人が再び歩き始める。スカサハは、今度こそ余計なことを考えないように気をつけながら、二人からつかず離れずの距離を黙って歩いた。

   ***

 明朝。厩舎の掃除をしていると近づいてくる足音があった。
「オイフェさん?」
 オイフェは、眠たそうに眼をこすっていた。一体何の用だろうか。不思議に思っていると、彼は申し訳なさそうに視線を落とした。
「スカサハ、ごめんね」
 微かにワインの香りがする。昨夜はだいぶ飲んだのだろう。
 呟いたきりオイフェがなかなか話さないことに、嫌な予感がにじり寄ってきた。
「もしかして、シャナン様に何かありましたか」
「大丈夫。ただ、あの飲み方だと二日酔いかも」
 緊張でつまっていた息をゆっくりと吐きだす。彼が大丈夫というなら、問題ないはずだ。冷たい空気に冷やされた息が、かすかに白んでみえる。
 シャナンが二日酔いになるほど飲むのは珍しいことだった。
 きっとつらい思いをされている。馬の世話を終えたら薬をもらって部屋へ寄ろう。そんなことを考えながらオイフェをみると、彼はまだ申し訳なさそうな表情を変えていなかった。
「シャナン様がご自分から飲まれたのでしょう。オイフェさんが気にすることじゃありません」
「……きみ達の関係を聞いてしまったんだ」
「俺と、シャナン様の……」
 スカサハは寝藁を敷く手を止めて立ち尽くした。藁を均一に整える道具を落としそうになり、慌てて握りなおす。
 一体、どこまで。
 たずね返せないまま時間が過ぎる。オイフェも気まずそうに視線を逸らしたきり何も言わない。心臓がうるさく音を立てていた。息が苦しい。手が震える。

 スカサハはおびえていた。オイフェへの子供らしい嫉妬に気づかれることを。そして、シャナンとの関係がうまくいっていない事実が知られてしまうことを。オイフェは聡い。スカサハが気にしているやわらかな傷がつまびらかになるのは、もはや時間の問題だった。
 そこまで思考して、オイフェの謝罪の意味を理解した。そもそも、気づいていなければ謝るはずがないのだ。すべてを知ってしまったから、わざわざここまで来たのだろう。
 もはや立っている心地がしなかった。

「彼はとても悩んでいたよ」
 昨晩の光景が目に浮かぶ。
 シャナンが今のスカサハとの関係に悩んでいることは知っていた。そもそも、二人の関係はスカサハの我儘の結果だった。王は、スカサハの想いを突き放せなかっただけだ。
 だが、オイフェに相談したならば、いよいよ突き放す覚悟を決めたということだろう。どうすれば元の関係に戻れるのか、再び線を引けるのか、そんな相談をしたに違いない。
「スカサハ。どうか、シャナンを許してあげてほしい。シャナンは――」
 何をどう許せばよいのだろうか。それ以上は、考えるより先に足が動いていた。
「待って、スカサハ」
 確かに、二人の関係は変わりきれていなかった。けれど、もう元に戻れるはずがない。
 シャナンが「気の迷いだろう」と言いながらも受け入れてくれたこの感情を恋と呼んでもかまわないなら、スカサハは、誰にも理解されない恋をしている。それは、相手の優しさを利用していると知っていても、押し付けた感情を手放せないほど、愚かな恋だった。

 息をきらして、あてどなく走る。
 しばらく走ってから、目指していた方角が幼少を過ごしたティルナノグだったと気づき、泣きたくなった。
戻れるものなら戻りたかった。ただ純粋な師としてシャナンを尊敬し、慕っていた子供にかえりたかった。

 こんなにも苦しいなら、何があっても胸に秘めておくべきだった。
 雲一つない晴れ空を疎ましく思いながら、城との距離がどんどんと離れていく。

   ***

 舞い上がっていたのだと思う。
 皆が聖戦と呼ぶ戦いを終えてイザーク王城にやってきたとき、スカサハは初めてシャナンに頼りにされている実感を得た。今までも「頼りにしている」と言われることはあったが、それは妹にも平等にかけられる言葉で、スカサハだけのものではなかった。ましてや、あの頃のシャナンが一番頼りにしているのは誰の目から見てもオイフェだった。

 シャナンがスカサハを本当の意味で頼るようになったのは、戦場を共にした仲間たちがこれからを生きる場所として各々の地へ向かってからだ。オイフェはシアルフィに残り、妹は恋人とともに別の国へ行った。イザークの北、ティルナノグを発つときには大勢いた仲間たちの中で、王とともにイザークへ戻ったのはスカサハだけだった。
 長きにわたる帝国の支配で疲弊しきった国を建てなおすとき、シャナンは当然のようにスカサハの力を頼った。迷いがあったときにはスカサハの意見を求めてくれた。
頼られる事実だけで満足していた。もともと、胸の内に抱える思いは誰にも明かさないつもりだった。

 けれどスカサハは欲張った。初めて共にした酒の席で無防備に酔う王の姿を見た時、どうしようもない感情が収まりきらなくなってしまった。スカサハも酔っていたと言えば単純な話だが、そこには打算があった。初めての酒、にぶる思考。今ならば、想いを明かしても冗談で済ませられるのではないか、と。
 あふれた思いをシャナンは真剣に聞いてくれた。そして、じっとスカサハを見つめて黙ってから、彼は言った。
「気持ちは嬉しいよ。だが、酔いの冗談にしてはたちが悪いな」
「……冗談ではありません」
「では、気の迷いだろう」
「本当に気の迷いか、確かめてくれませんか」
「それでお前の気が済むのなら」
 もう、後にはひけなかった。
「確かめてください」
 酒が回り、熱をくすぶらせた体で、スカサハは愛おしくてたまらない人を抱きしめた。

   ***

 どれほど歩いただろうか。先ほどからずっと同じ景色が続いている。今まで何度も王とこの道を通ってきたが、もっと彩りがあると思っていた。
 単調な景色を眺めながら思い出すのは、王との思い出ばかりだった。

 スカサハはこの道で馬の乗り方を教わった。
 敬愛する王は、多忙な日々の合間を縫って、何度も、何度も、遠乗りに付き合ってくれた。
 あまりに何度も馬の練習にでかけるものだから、家臣はよく王に「過保護ですよ」と言って笑っていた。シャナンは「心配だからな」と笑い返していたが、我儘を言っているのはスカサハだった。
「シャナン様、乗馬の練習に付き合っていただけませんか」
「もう私から教えられることはないぞ」
「ですが、まだ慣れないんです」
「いいよ、一緒に行こうか」
 一緒に行こうか、と言ってもらえる特別がうれしくて、本当はシャナンが乗馬を苦手としていることに気づいても、スカサハは我儘を繰り返していた。

 関係が変わってからは、乗馬の練習をしていた時以上に、二人で馬に跨り出かける時間が特別になった。もう、家臣も何も言わずに見送るようになっていた。
 人目を気にしながらも、二人きりで過ごす幸福。シャナンは城にいる時よりも伸び伸びとした態度でスカサハと話してくれた。
「スカサハ、すっかり男前になったな」
「シャナン様のおかげですよ」
「私は何もしていない」
「ですが、シャナン様に教わらなければ、剣も馬も、ここまで上達しませんでした」
「お前は私を喜ばせるのがうまいな。よし、あとで頭を撫でてやろう」
「照れ隠しで子ども扱いしないでください」
「気づいていたのか」
「ずっとあなたを見てきましたから……」
 夕暮れでもわかるほどに色づいた頬を見たとき、胸の奥から喜びがこみ上げた。王が初めて、スカサハと同じ想いを抱いてくれた気がしたのだ。

 けれど、結局はただの勘違いだったのだろう。スカサハとシャナンの関係は今も昔も変化しきれず、スカサハは無意味な嫉妬に苦しみ、シャナンは関係を元に戻したがっている。
 スカサハの進んできた道には、ぽつぽつと雨の降り始めと同じ、まだらな染みができていた。
 どうして関係を変えようとしたのか、過去を責めたくなってしまう。

 やはり帰れないと、気持ちを確かめるように地面を眺めていた時、耳によく馴染んだ声がした。
「スカサハ。ようやく追いついた」
 かすんだ景色の奥に、居るはずのない人が立っていた。スカサハはその姿を見つけるなり顔を背けた。本当は走って逃げてしまいたかったが、不思議と足は動かなかった。
「オイフェに勝手に話したことは謝るから、こっちを向いてくれないか」
 シャナンは息を切らしていた。激しい戦いで戦場を駆け回った後のように、言葉の合間に浅い呼吸の音が聞こえる。
「スカサハ、怒っているのか?」
 怒っているわけではない。
「私のせいか」
「あなたのせいだけではありません」
「私のせいでもあるんだな」
 ずるい聞き方だ。
 黙っていると、迷いを残した手がおそるおそるスカサハの右手を優しく包んだ。普段はスカサハより温度の低い手が、今は温かい。
「すまなかった。私の曖昧な態度がずっとお前を困らせていたのだろう」
「困らせていたのは俺のほうです」
「なあ、スカサハ。やっぱりお前の顔が見たいよ」
 握った手を引っ張れば、無理やり向かせることもできるだろうに、手は優しく握られたままだった。
 スカサハは目元をぬぐってから振り向いた。
 一目で、シャナンが身支度もおざなりに飛び出してきたことがよくわかった。いつもはきっちり結ばれている帯も、まっすぐ梳かしてある髪も乱れてしまっている。冷える季節だというのに、外套も身にまとっていない。ただ、かろうじて剣のことは覚えていたらしい。腰に、いつもの神剣が提げられていることにスカサハは安堵した。
「やっと顔を見せてくれた」
 シャナンは目をほそめて柔らかく笑った。
「どうして、ここに」
「お前が城を飛び出したと聞いたからな」
「二日酔いは大丈夫ですか」
「そんなことを言っている場合ではないだろう」
「放っておこうとは思わなかったんですか」
「馬鹿なことを言うな」
 繋がれた手に力がこもった。やっぱり、怒っている。怒られて当然のことをした。
 だから苦しいんだ、とスカサハは思う。
 シャナンがスカサハを大事に想ってくれていることは知っていた。知っているから、我儘を聞いてもらうたび、胸の奥が苦しかった。
「ですが、俺の想いは迷惑なんですよね。本当は気づいていました。あなたは俺が大切だから、俺の想いも断れなかったんだって」
 まっすぐに向けられていた視線が気まずそうに逸らされた。
「……本当に、お前は私をよく見ているな」
 感じていた体温が離れていく。
 これで、全て終わりだ。
 シャナンから恋の終わりを告げられることを恐れて逃げてしまったというのに、結局、自ら終わらせてしまった。
 これで良かったのだと言い聞かせながら、スカサハは引きつる口端をもちあげた。
「俺、ちゃんとあなたへの想いを捨てますから。もうあなたを困らせたりしませんから、どうか、これからも、お傍にいることだけはお許しいただけませんか」
 最後の我儘のつもりだった。
 後はうなずいてくれるのを見届けるだけだ。
 だが、シャナンの反応はスカサハの期待とは異なっていた。
「……信じてもらえないかもしれないが、今は違うんだよ、スカサハ」
「違う、とは?」
「私への想いを、捨てないでほしい」
 それは、つまり、どういうことか。
 言われた言葉を理解するよりも、優しい体温が全身を包むほうが早かった。
「どうして……」
「言わないとわからないか」
 引きつっていた頬が、自然とほぐれていく。
 苦しくて手放したかった想いが、今は胸をじんわりと温めている。
「あなたの言葉で聞かせてください」
「うむ、話そう。またお前を悩ませたくはないからな」
 いつも我儘を聞いてくれる時と同じだろうと覗いた顔は、照れくさそうに色づいていた。

   ***

 イザーク城に帰ると、二人はすぐに客室へ向かった。オイフェは二人の姿を見るなり、怒りと安心がぐちゃぐちゃになった、めずらしい顔をした。
「世話をかけたな」
「まったく、きみは少し口下手すぎるよ。でも、今回ばかりは私も迂闊だった。スカサハ、ごめんね」
 朝と違い、もうワインの香りはしない。
「いえ、俺が最後までオイフェさんの話を聞くべきでした」
「スカサハが責任を感じる必要はないよ。一番の原因はシャナンだからね」
 スカサハでは決して言えないことを、オイフェは軽々と口にする。
「まったく、きみは私が起こすなり剣も持たずに飛び出そうとして……」
「それは、仕方がないだろう。それにお前も慌てていたではないか」
「責任は感じていたから」
「まったく朝から肝が冷えた」
「きみがスカサハと話し合っていればこんなことにならなかったんだけど」
「さっきから口うるさいぞ」
 スカサハでは引き出せないシャナンの不貞腐れた顔を見ても、もう苦しみはなかった。
「まったく、君がしっかりしないと」
「私にだって、苦手なことはある」
「乗馬とか?」
「あ、オイフェ、それは――」
 シャナンは、オイフェの口をふさぎながらスカサハを見た。
 慌てぶりを見るに、いまだに気づかれていないと思っていたらしい。
「知っていますよ」
 鹿肉が苦手なことも、弓の腕はいまいちなことも、本当は体を動かしたいことを我慢して、懸命に国のため頭を悩ませていることも。スカサハが敬愛してやまないシャナンは、強くて、格好良くて、少し見栄っ張りだ。
「そんなあなただから、俺は守り支えたいと願ったんです」
 純粋な気持ちで願うことができるのは、ずいぶんと久々だった。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!