作品内容に深くふれています。
国宝、見ました。
感想を書かねばという気持ちになったものの、正直どこから手をつけて話せばいいのか悩みます。
誤解を恐れずに書くと、私がこの映画を見届けて最初に思ったことが、「気分が悪い」でした。
気分が悪い。
そう書くとネガティブな印象になってしまうのは理解したうえで、私はこの言葉を作品を肯定するものとして使っています。
綺麗なだけの作品ではないのです。歌舞伎に立つ女形の役者さんはとても美しいけれど、この作品が描いているのはその美しさを求めて、泥水を浴びる役者の姿だったから。
喜久雄は、血の呪いによって得るのが果てしなく難しいものを、それでも求めて手を伸ばしていた。
だから、綺麗だったとか、すごかったとか、良かったとか、そういった前向きな言葉だけで、この作品の感想を語ることはできません。
4代目花井白虎が与えた呪い
なんか、結局血なんだなって、一番最初に絶望をつきつけてきたのは花井半二郎、花井白虎襲名の場面だと思います。
歌舞伎は血の世界。だから喜久雄と俊介並んでいても、最後に惨めな思いをするのは喜久雄だと言った人物もいたとおり、この世界で血筋を持たない喜久雄が手を伸ばしているものは、決して届くはずがない憧れでした。
ですがその状況でも、芸事なのだから芸で納得させろと言い、喜久雄を抜擢したのが4代目 花井白虎。
つまり、血の世界の中で喜久雄に希望を持たせていたのは彼の存在が大きかったと思います。
その白虎が、襲名式で倒れた時に名前を呼ぶのが、糖尿で弱って息子が出奔しても寄り添い支え続けてくれた喜久雄ではなく、8年前(正確な数字うろ覚えです……)に連絡を絶って家を離れたきりの息子の名前なの、だめでしょう、それは。
きつすぎて、映画館で吐きそうになりました。
白虎の立場もわかるんですよ。芸事を極める者としては、芸に秀でる喜久雄の舞台を見たい。それでも肉親として断ち切れない俊介への愛情も確かなものとしてある。揺れ動く感情を、他所からただ非難することはできないと思います。
ですが、だめなんですよ。喜久雄にとっては唯一の後ろ盾が花井白虎なんです。
白虎の心の揺れ動きって、白虎自身が生み出してしまったもので、言ってしまえば自業自得に近いと思うんですよ。
周りから見たらすごくありえないことをした報いを受けているだけなんです。
でも、喜久雄は違うじゃないですか。喜久雄は届くはずのないものを得たと同時に、血で諦められたはずのものに触れて、芸事に呪われてしまった。喜久雄の望みにはもしかしたら近づけたのかもしれないけれど、貰わなくていい不幸も、振りまかなくて良い不幸も、沢山つくることになったのは、白虎が慣習を破ったからです。
だからせめて、白虎は喜久雄の名前を呼んであげてほしかった。
きっと襲名だって喜久雄にとっても悩ましいことだったと思うんです。
でも、友である俊介はいなくなって、喜久雄が襲名を断ったところで名を継ぐ者はいない。あの襲名の誘いを受けた時点で、芸を愛する者としてはとっくに引き返せなくなっている状況なんですよね。
喜久雄が遠慮して引き下がるタイミングがあったとしたら、それは花井半二郎の代役を務めた舞台だったのではないかなと思います。俊介がいなくなった時点で、喜久雄は歌舞伎を続ける責任が生まれてしまっていた(続けることは本人の望みでもあったと思うけど、状況的にもやめられなくなっていた)。生まれながらに歌舞伎で生きる道を運命づけられている友を、歌舞伎の世界から遠ざけてしまったのだから、簡単には引き返せないですよ。
その状況を受け入れて、喜久雄は半二郎を息子の代わりとしても支えていたのだから、申し訳なさを感じさせるようなことをしないであげてほしかった。
血筋がない喜久雄に希望を与えるだけ与えて、最後に突き落としていったのは、本当にひどいと思ってしまう。
結局は、血。
花井白虎の死後から、半半で藤娘するまでが本当に気分が悪くなるほど生々しく苦しい話の連続でした。
このころの喜久雄、本当は俊介がもらうはずだった名前をもらったことを己の罪だとでもいうように、息子が受け取るべき苦労を代わりにもらってしまう歪さが印象的でした。
「今さら名前を返せない」(微妙にニュアンス違うかも)
本当に、この一言に尽きるのだろうなって。
もう少し俊介が早く戻っていれば、喜久雄だって襲名しなかったと思うんですよ。
でも、もらってしまった。俊介が歌舞伎の世界に戻ってきても、もらったからには、返せないし捨てられない。
後ろ盾を失った喜久雄が主役から遠のいていくなか、復帰した俊介。
ここの対比が本当につらい。
俊介は歌舞伎から一度逃げ出したのに、血を持っているから守ってもらえて、受け入れられて、また芸事の世界へ戻っていける。
一方で喜久雄は、襲名までしたにもかかわらず、自分ではどうしようもない出自で叩かれたり、喜久雄が俊介からすべてを奪ったかのような責められ方をされる。
さらには、迷惑をかけたことに対し花井の家に謝罪しても、喜久雄の謝罪は受け取ることすらされずにすり抜けていってしまう。
いったい、どうしろと言うんですか。
喜久雄だって、役を得るために女の人をたぶらかしたり、自分の子供を見て見ぬ振りしたり、決してできた人間ではないけれど、状況がつらすぎるなと思います。
しまいには、芸事から逃げた相手に呼び戻してやると言われるし、役を得るための苦労がない立場から、役を得るためにやってしまった汚い行動を責められる始末。
正直、きつい。
喜久雄がどれだけ逃げずに歌舞伎とひたむきに向き合っても、血には敵わないことを象徴するかのような話が延々と続き、苦しかった。
最後、もう心がボロボロの喜久雄がどこかの屋上で舞う場面、本当にこの人はつらくて苦しくて、でも歌舞伎に呪われて離れなくなってしまったんだなあ。呪った本人はもうこの世にいないし、誰も守ってくれる人もいないし、きっと離れたほうが楽になれるのに……と思ったら、気づいたときには涙がこぼれてしまっていました。
人間国宝になった喜久雄
インタビューの時に、順風満帆みたいな言葉が聞こえてきて、そんなはずないだろうって言いたくなっちゃった。
現実でもよくあると思うのだけれど、成功した人の苦労や苦しみをすべて塗りつぶして、成功者として良い人生だと決めつけてしまう。きれいであることを求めてしまう、そういうのってなんか、苦しいなあ。
でも、喜久雄によって犠牲になった存在の一人である娘が、喜久雄の芸事を認めてくれたから、ああ本当にこの人の演技って見る者を虜にする、そういうものだったんだなって思いました。
血筋に振り回され犠牲になった一人である娘が、父だとは思わないけど、あなたの演技は綺麗だ(台詞はうろ覚え)っていうの、捧げてきたものに対する報いですよね。
だって、喜久雄は悪魔と契約してしまったから。
歌舞伎に全てを捧げて、一番になれたら、他のものは何もいらないというくらい、歌舞伎にかけていたから。
正直、この人ひどいなって思ったり、気分良くないなって感じる場面も多い話だったけれど、それでも、この物語の最後が、小さなころ人間国宝の万菊さんに勉強のため見せてもらった演目を人間国宝になった喜久雄が演じて終わるというのは、すごくきれいな幕引だったなと思います。
綺麗なだけの話ではないけれど、歌舞伎という芸事の世界の話だから、最後に芸で報われた姿を描いてくれたのは嬉しかったです。ただ、そこにたどり着くまでが、本当に苦しかった。その苦しさもまた魅力になる作品だった。
喜久雄と俊介、二人で立った最後の舞台
幕引の話した後に書くのもなんですけど、俊介が片足を切断したあとの舞台をつくるながれで、途絶えない二人の友情を感じられたのが嬉しかったです。
お互い、こういう風に怒れたらって言っていたように、相手に対して思うところが全くないわけではない二人だと思っています。
俊介からしたら、約束されていた花井半二郎の道を横から芸で奪っていったのが喜久雄だし、喜久雄から見たら、自分がどれほど望んでも手に入らないけれど歌舞伎で重要な血を持っているのが俊介。だからこそお互いに対して思う部分もあるはずなんです。実際に、その「思う部分」がこじれた結果、俊介が歌舞伎から離れたり、喜久雄が落ち目の時に喧嘩分かれしたりもしている。
それでも、すべてを見届けた後に振り返ってみると、やっぱり二人の友情って結構ぎりぎりのところでずっと成立していて、その理由は、互いに相手を認めていたからなんだろうなって感じます。
自分が立つはずだった舞台を奪われたような気持が全くなかったわけではないはずなのに、それでも緊張に震えていた喜久雄を支えたのは俊介だし、俊介が足をきって舞台に立てるか立てないかというときに、やりたいといった舞台を叶えてあげたのは喜久雄なんですよね。
片足を切断した俊介が、それでも演じたい役があると語った時に、喜久雄がそれなら俺はこの役をやるといって、花井半弥の立ちたい舞台を叶えてあげる場面が好きでした。
死ぬる覚悟で、芸に生きる二人だからこそ、芸で離れて芸でつながったんだなって。
そして、あの最後の二人の舞台で、半弥は間違いなく主役だったから、この二人はいい関係のまま終われていったのだろうなと思いました。
うーん、話題になるのも納得のすごい作品でした。