徒然

モチーフとしての山羊

折角なので、比較的実用性のあるまとめ記事でも作ろうと思いました。

昔noteに読書感想を書き連ねていた時も感じていたことですが、しっかり書ける場所があるとついつい何かを書きたくなってしまうのが私という生き物のようです。

そして嬉しいことに、この雑記は原稿の役に立つので時間を割いても許されます。

モチーフとしての山羊

山羊と言われて、どのような姿を思い浮かべるでしょうか。
私は、ヤギの郵便屋さんのイメージが強いので、少し間の抜けた生き物だという印象を抱いていました。

あとはせいぜい、悪魔的なイメージの象徴ですね。
私の好きなゲーム、聖戦の系譜でも悪魔のモチーフに山羊が使われてます(新刊には全然取り入れていない)。
気になる方は、聖戦の系譜を遊んで「フェンリル」という魔法を目撃してください。

これだけでも、ある種相反するイメージが山羊にこめられているとわかります。
山羊は身近な動物ということもあってか、様々なモチーフとしての意味を持っているようです。

ちなみに、この後に書いている話は大体Wikipediaや検索してすぐに出てくるようなサイトにも解説あると思います。情報源の9割がネットです。

いろいろな記事を読んで私なりに再解釈した内容になるので、多少のニュアンスのズレがあるかもしれないことはご承知おきください。

先頭の山羊

臆病な羊の群に混ざる1頭の山羊。
羊飼いたちは羊の群れを扇動するために、山羊を1頭ぽつりと混ぜて、ヤギの先導をすることで羊の群れをコントロールしていたそうです。

私はこのモチーフを見た時に皮肉だなと思いました。
結局山羊は羊飼いに先導されているので、自分の道を歩いて勇敢に進むわけではありません。
けれど、羊から見たら山羊は英雄です。進めない自分たちの分まで前に立って道を切り開く頼もしい存在に見えるでしょう。

羊から羨望の眼差しを向けられた山羊は、その姿を崩してはならないと追い込まれ、前へ前へと進みます。
けれど、どれだけ前へ進んでも羊飼いの先導からは逃れられない。

一つの物語ですね。
この山羊は苦しいね。ほのぼの生きてくれ。

羊を右に、山羊を左に

マタイの福音書の一節です。

該当箇所をざっくり眺めると、選り分けられた羊と山羊は各々の運命を辿ることがわかります。
右に選り分けられた羊たちは用意された王国を受け、左に選り分けられた山羊たちは永遠の火の中に入るそうです(恐らく、それぞれ天国と地獄行きだということですね)。

ちなみに、聖書の中で「右」は自分と同等以上の存在といった意味があるそうです。

ヤギが地獄に送られる理由は、不親切さにあると言います。
羊は飢えている者に食べ物を与えて、水を与え、よそから来ても歓迎してくれたけれど、山羊はそうしなかったというのです。

この話で山羊が持つイメージは、「悪人」です。
左に選り分けられた山羊は、悪人だから地獄行きだよという話なのでしょう。
聖書に馴染みがないので間違っていたらごめんなさい。

ところで、顔の左側に傷がある男の話をします。
これを見た時、私には自らの足で地獄へ向かおうとするオグマさんの幻影が見えていました(怖い)。
右の天国に行くべき人なのに自らの足で左の地獄へ進もうとしたのではありませんか。
だから、地獄の門番に違うだろって引っ叩かれたのでは……と一度思ってしまったら、もう、その姿が頭から離れなくて困ります。

オグマさんは天国に行くのよ。地獄で苦しみ続けるなんて絶対ダメ!あなたは幸せ慣れしなきゃいけないのよ!

悪魔バフォメット

山羊と聞いて悪魔のイメージが浮かぶ場合、おそらくこの影響を受けているのではないかと思います。冒頭に私が書いた山羊のイメージもこれですね。

どうやら、キリスト教徒の想像する有名な悪魔像らしいです。
調べてみると、魔女たちが崇拝してただの両性具有だの情報は得られますが、私の妄想の琴線に触れなかったのでざっくり説明で飛ばします。

豊かさの象徴、コルヌコピア

コルヌコピア。
コルヌコピア、音の感じはいいけれど聞き馴染みのない言葉ですね。豊穣の角という意味で、ヨーロッパの伝統的な装飾モチーフらしいです。

これと山羊のどこに関係が? と思われるかもしれませんが、実はコルヌコピアのデザインが、山羊の角に花や果物、穀物を詰め込んだような図案なのです。

モチーフの起源はローマ神話のゼウスにある説が有力そうですが、この辺は詳しくないので興味があれば調べてみてください。

悪魔にも豊かさの象徴にもなる山羊、恐ろしいですね。
コルヌコピアは角だけなので捉え方も難しいところではありますが。

余談ですが、遊牧民たちにとって山羊は非常に重要な家畜の側面を持っているようです。
遊牧民も多く暮らす国イザーク王国も、山羊は重要な生き物なんでしょうね。そうでなければ国旗デザインに反映されないはずだもの。

スケープゴート

生贄の山羊。
レビ記に出てくる贖罪のヤギが語源らしいです。
人間の苦難や罪を背負わせて野に放たれる山羊のことを、スケープゴートと言うらしい。

これも聖書の影響を受けているんですね。山羊に厳しいよ……。

スケープゴート、現実社会だと許し難いけれど、物語で見ると美しいんですよね。
押し付けられるスケープゴートでなく、自らが犠牲になって皆を守るタイプの人に弱いです(二次元の話)。

いやでも、思慮不足で仲間と共に炎で焼かれてしまったシグルドさんもしんどいけれど、スケープゴート的な描写のされかたとしては最高ですね。
しんどいけれども!

唐突な聖戦語りですみませんが、アルヴィスさんの想い描いた世界のためにシグルドという犠牲(一連の騒動のスケープゴート)を産んでしまうことは、物語全体を見た時には仕方ないことなんですよね。
歴史を見ても、革命は当時を生きる人の犠牲を伴って成立していますし、実際、アルヴィスさんはシグルドたちを騙して犠牲にしたけれど、一時の犠牲をだして、未来の犠牲がない国を作ろうとしていたのよね(個人の解釈です)。
理想のために、焼かれて死んでいく犠牲を、アルヴィスさんはきっと自分の目で最後まで見届けたことでしょう。

ただね、アルヴィスさんの制御できない場所でロプトの野望が動いてしまっていたあたりが、聖戦の系譜という作品の味噌だなと思っています。
そして、時を経てシグルドの息子セリスが倒しにくる運命の輪よ……。セリスが来ると分かった時にティルフィングをパルマークにもたせたのって、自分の手に負えなくなった国をシグルドの子に託す意味だけでなく、犠牲を無駄にしてしまった罪滅ぼしの思いがあったのではないかな、なんて思ってしまうのです。
私はアルヴィスさんのこともまた、運命に翻弄された一人だと思っています。

山羊をモチーフに使った作品

山羊の歌

中原中也先生の詩集です。この詩集なかなかに面白くて、タイトルは山羊の歌なんですけど、収録されている詩は羊の歌なのです。

「羊を右に、山羊を左に」のモチーフが先生の中にあったのだろうなと、私は勝手に解釈しています。
先生は羊のように生きていきたいけれど、集めた作品には人間の愚かさが滲んでいて、これはまるで山羊の歌だ、みたいな。

調べたら研究論文とかありそうですが、調べてないので真相は不明です。

山羊座の友人

これは背表紙見るだけで明らかなのですが、「スケープゴート」がモチーフの作品です。
単行本1巻で完結する、中々面白い作品です。
記憶が遠いので、テーマと面白かったという記憶しか出てこなくて、感想を書けないのがもどかしいところです。
山羊座の友人

他にも探したらありますが、私も触れられてない作品がほとんどだと思うので一旦ここまでにします。

比較的実用性のあるまとめ記事(あくまでも私にとって)を目指したつもりです。
テガログと違って章立てしながらまとめられるのは、多機能ブログサイトの強みですね。

送信中です

×

※コメントは最大500文字、5回まで送信できます

送信中です送信しました!