聖魔の光石

若葉

 空気の澄んだ清々しい朝。騎士たちの鍛錬の音がする。武器がぶつかり合う音、激しい動きのあとの荒々しい呼吸、馬のいななき。
 それらの音の中に、ゼトは将軍を探す声を聞いた。若さの滲む声だ。おそらく、ファード王に命じらたのだろう。
 ファード王は、将来を期待する見習い騎士に、将軍——すなわちルネスの騎士団長——に会うよう伝える癖があった。これにより、将来有望な若者と優秀な騎士の間に繋がりを作り、若者を育てるための環境を整えていた。
 だが、これが若者にとっては中々に大変だった。将軍が何を好むのか、この時間はどこにいるのか、王はそうした情報を一切与えない。
 将軍と会うように命じられた見習いは、あてどなく広いルネス城を探し回ることになる。親切な先輩騎士に話しかけて居場所を聞かなければ、将軍を見つけることはまず不可能だ。
 これも王の狙いだった。ルネスの優秀な騎士であれば一度は王に同じことをされている。将軍を探させる中で、騎士団の未来を担う若者をそれとなく知らせているのだ。
 ゼトは試練に懐かしさを覚えながら、少し手伝ってやろうと遠くへ目を凝らした。
 ゼトが正式な叙任を受けた頃にちょうど任命された将軍は、他の騎士達から離れた場所で武を磨くことを好む人だった。ゼトは時々鍛錬を共にさせてもらっていたから、騎士団の中でも将軍の居場所に詳しい。
 けれど、この時間ならばいるはずだと思った場所に、将軍の姿はなかった。
 それで思い出した。
(ああ、今の将軍は私だったな)
 ゼトが思い浮かべていた将軍は、昨日、老いと病を理由に退団した。
 その後任としてゼトは騎士団長に任命された。二十五歳。若すぎるという声は、王と前の将軍の熱烈な後押しにより潜められた。
 あまりにも早い出世に、金剛の騎士をも超える騎士、との噂もあるが、大袈裟な物言いをゼトは好ましく思っていない。
 まだ、ゼトが見習いの頃に将軍だった金剛の騎士には追いつけない。憧れの背中は、遥か遠くにある。

「ゼト将軍、ご就任おめでとうございます」
 聞き馴染みある堅い声に振り向くとカイルの姿があった。彼は王子付きの騎士として、王子王女のグラド留学に同行しているはずだった。
「久しいな。戻っていたのか」
「帰国に先んじて状況のご報告に。お二人のそばにはオルソン殿とフォルデがいますのでご安心を。……お二人とも、大変たくましくご成長されていますよ」
 生真面目な騎士は、凛々しさを崩さず控えめに微笑んだ。ルネス騎士の中でも指折りで堅物と称される彼が嬉しそうな顔をするくらいだ。王子王女にとっても、得るものが多い留学になったのだろう。
「そうか、楽しみだな」
「ところで、まだお時間大丈夫でしょうか」
「構わないが手短に頼めるか。私を探し歩く見習いがいるようだからな」
「そういうことであればご安心を。ちょうどその見習い騎士にお会いいただきたかったのです。フランツ、もういいぞ」
 現れた姿にゼトは息を呑んだ。
 癖のある柔らかな髪、吸い込まれそうなほど大きな緑の瞳、威圧感のない姿勢の良さ。憧れの騎士にあどけなさを加えたら、きっと彼になる。
「彼はフォルデの弟です」
 カイルは短く言い添えた。

 +++

 強い日差しに、木々の葉が最も艶めく季節。初めてフォルデと話した日は、フランツの時とは異なる衝撃があった。ゼトは見習い騎士になった彼の教育担当を託されていた。
 教育初日。顔合わせをし、騎士が使う場所を案内し、言葉を交わす中で、ゼトは心の奥に生まれた違和感に気づいた。その違和感を確かめるために剣の手合わせを求め、ゼトは確信した。
 フォルデは、ゼトが憧れた将軍の息子でありながら、その勇敢さとは正反対の生き方をしようとしている。唯一、将軍の残した技だけを、彼は大事に守っていた。
 その在り方は正しく眩しかった。父に縛られずに父を尊敬する生き方を、かつてのゼトは選べなかった。
 一方で、身勝手な落胆もしていた。
 事前に彼の経歴を知っていたことがよくなかったのだと思う。彼と話す前から、ゼトは彼がエフラム王子の世話役を任されていることを知っていた。王子王女の教育係であるゼトとは、挨拶を交わすことはあっても、関わる機会はあまりなかった。そのため、彼の立場だけを聞いて無意識に偏見を抱いていた。
 奔放な王子の世話役を任されるくらいならば、きっと憧れの将軍のような人なのだろう、と。
「父に似てないと思いましたか」
 手合わせに使った鍛錬用の鉄剣を握ったままのゼトに対し、フォルデはすでに剣を鞘へ納めていた。
「……すまない」
「気にしていませんよ。似てないくらいが丁度いいので」
 丁度いい、と濁りなく言える彼をゼトは少し羨ましく思った。
 ゼトの父も、かつてはルネスの将軍だった。ゼトが十の時に任務で戦死している。
「君は強いな」
 ゼトは、長く父の幻を追いかけていた。年配の騎士達から父に似ていないと言われるたび、どうにもならない申し訳なさを抱いていた。
 そんな時、支えにしていたのは憧れの人の言葉と、王女の無垢な笑顔だった。父をあまり知らない王女は、ありのままのゼトを見てくれた。王女がゼトを慕ってくれている事実は、ゼトが騎士であるために必要な感情を守ってくれた。
「そうか。あなたも……」
 フォルデは意外だと言いたげに呟いてから、何を考えているのかわからない顔で笑い飛ばした。
「他の人に代わりましょうか」
 教育担当のことだろう。ルネス騎士団では、見習い騎士に一人ずつ、教育担当の先輩騎士がつく。基本は騎士団長の割り当てた組み合わせで動くことになるが、当人同士での調整がつけば変更も許されていた。
「あなたに教わりたがっている人を知っているんですよ」
「だが……」
「カイルってやつなんですけど」
「君と共にエフラム様の世話役を任されているカイルか」
「決まりですね」
 フォルデは大きな口をあけて、あくびをした。
「弟の時は、同じ態度をとらないでやってくださいね」
 これではどちらが教育担当かわからないと、ゼトは己の未熟に呆れながら離れていく背を見守った。

 +++

 ゼトは、金剛の騎士への憧れを胸の奥にしまいながらフランツの実力を見定めた。
 フランツは、剣さばきも、槍の構え方も金剛の騎士に瓜二つだった。年齢にしては小柄な体格も影響して武術大会の結果はまずまずらしいが、ファード王が目にかけるには十分だろう。
 何よりも彼のまっすぐな瞳が、騎士としてあるべき姿を示していた猛将の姿を彷彿とさせる。
「君の剣と槍は兄から教わったのだな」
「将軍は兄さんをご存知なのですか?」
「ああ、君の兄とはたまに手合わせもしている」
「兄さんは僕の自慢で、目標なんです」
 彼は純粋な顔で喜んでみせた。
 その笑顔を眺めながらゼトは悩む。今の戦い方を続けることが、彼のためになるかどうか。
 基本を貫いた戦い方は、小柄な騎士には向かない。フォルデがフランツの年にはもう少し背が高かった。
「フランツ、手を見せてくれるかい?」
「手、ですか?」
 そう言いながら、おずおずと差し出された手には、努力の痕跡がいくつもあった。ゼトはその手に自分の手を重ね合わせた。二人の背丈は頭一つ以上違うが、手の大きさはあまり変わらない。
「よかった」
 昔、憧れの人もゼトに同じことをしてくれた。当時十四歳、同世代の騎士がみるみる成長する中、ちっとも背が伸びず悩んでいたゼトに、将軍は皮膚の硬くなった手を重ねて笑った。
「昔から、手の大きな子は背も伸びると決まっているんだ。君は今以上に成長するよ」
 フランツはますます嬉しそうにした。
「兄さんのようになれますか?」
「ああ、きっとなれる。私でよければ、たまに相手になろう」
 ゼトは努力家な彼を励まそうと、優しく頭を撫でた。

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