02 一歩前進!?
翌日。
まだシャッターが並ぶ商店街を進んでいると、腰までまっすぐに伸びた黒髪があった。藍染の着物姿は、長身のシャナンによく似合っている。
スカサハは、大きく息を吸い湿っぽい空気で肺を満たした。教科書で膨れ上がったリュックサックの肩紐を押さえると、姿勢の良い後ろ姿に駆け寄った。
「シャナン様、おはようございます」
「うむ、おはよう。相変わらず早いな。今日も朝練習か?」
それは、いつもと何一つ変わらない反応だった。
悔しい。シャナンに意識されていないという事実を改めて突きつけられると、想像以上に堪えた。だが、諦めるわけにはいかない。
「それもありますけど……。シャナン様と話したかったから、早く家を出たんです」
スカサハは、足を止めてまっすぐにシャナンを見た。
昨日までのスカサハなら、口が裂けてもこんなことは言わなかった。ただ、他愛もない会話——例えば、妹が窓ガラスを割って何故か自分まで叱られた話——をしながら、学校までの道を、ゆったり歩くだけで満足だった。
しかし、それももう終わりだ。スカサハは、段々と恋慕をひた隠しにすることに耐えられなくなっていた。そして、いつでも伝えられると楽観視するには、シャナンは鈍すぎる。
気持ちを明かしたいと思っている以上、もはや恋に積極的になるほか道はなかった。
視線の先では、少年のあどけなさを残した瞳が左右に揺れている。思いがけない言葉にきょとんとした顔は、シャナンを随分と若く見せた。
数秒の間がやけに長い。連続した3回のまばたきが、スカサハを緊張させた。押し寄せる後悔に自分の足先を見ると、からかうような声がした。
「なんだ、好きな子の話でも聞いて欲しくなったか?」
今度はスカサハが固まる番だった。まさか、シャナンからスカサハの恋路に触れてくるとは思っていなかった。
きっと、これはチャンスだ。相手のことを話せば、共通点の多さに気づいて意識を向けてくれるかもしれない。
スカサハは、興奮気味に左足を踏み出した。
「そうなんです! シャナン様、聞いてください」
穏やかな黒目が、柔らかな光を反射して細められた。
まだ閑散とした商店街をシャナンと横並びで進む。
先程の勢いはどこへやら、スカサハは何を話すか悩んでいた。
本人を前に好きなところを話すのは恥ずかしい。かといって、あまり露骨なエピソードを話すわけにもいかない。
スカサハが両手の人差し指を付けたり離したりする隣で、シャナンは静かに言葉を待っていた。
最後の店を過ぎ十字路を曲がると、スカサハはようやく言葉を紡いだ。
「その、実は。相手に、好きな子が他にいると勘違いされてしまったんです」
虚しさを思い出して項垂れると、シャナンは困ったように眉を下げて笑った。
「それは、災難だったな」
「でも、相手もちょっと鈍感すぎるんですよ」
「そうなのか」
シャナンは全く心当たりがなさそうに首を傾げた。
——あなたのことですよ。
たった一言伝える勇気は、どうしても湧かない。自分に対するもどかしさが、余計に感情を揺さぶった。
「だって俺、ずっと前からその人のことしか見てないんです。それなのに、どうして他がいるなんて——」
思わず責めるような言い方になり、スカサハは慌てて言葉を切り上げた。シャナンは一瞬スカサハに視線を向けたっきり、口を一文字に結んでいた。
反対側にいた雀が、烏によって散っていく。二人の脇を自転車に乗った学ラン姿の男子が過ぎ去った。いじるのをやめた手がシャナンとぶつかる。慌てて引っ込めてから、残った感覚を密かに惜しんだ。
太陽が眩しい。シャナンは、少し手前で立ち止まっていた。スカサハが振り向くと、恐る恐る、と尋ねてきた。
「その子は、お前と歳が近いのか?」
少年の面影を残した丸い瞳がまっすぐにスカサハを見る。
「10ほど上です」
答えた瞬間、シャナンは小さく息を吐いた。それから、何事もなかったかのように歩みを再開した。
「なんだ、お前にもそんなに年上の知り合いがいたのか」
「ええ、まあ。……誰だか気になりますか?」
気になる、と言って欲しい。
スカサハは、言葉に少しの期待をこめた。
横目に表情をうかがうと、シャナンの視線がそらされた。
「いや、いい。お前の交友関係に口を出すつもりはない」
その瞬間、スカサハの中で燻っていた感情があふれた。
——シャナン様はいつもそうだ。
スカサハが大切だという態度をとるくせに、肝心なところに踏み込まない。だから、いつまで経っても向けられた恋心に気づかない。
八つ当たりだと頭ではわかっていた。それでも、無性にシャナンを困らせたくなった。スカサハの言葉に悩んで、頭を抱えてほしい。
幸い、もう校門までそれほど距離もなかった。
苛立ちにも似た感情を内側へと抑え込む。
「シャナン様もよく知ってる人ですよ」
平静を装い、些細な日常を話すのと同じ調子で声にした。シャナンの顔は見なかった。逃げるように学校に入ると、体育館までの慣れた道のりを早足で進んだ。