聖戦の系譜

シャナン様付き合ってください

一方通行ラブソング

※同じような設定現パロですが、『シャナン様付き合ってください』の本編とはちょっと違う世界の話


 スカサハは、朝から浮かれていた。長年恋焦がれ続けた相手と、二人きりでショッピングモールに出かけるからだ。
 待ち合わせは、二人の家の間にあるバス停だ。スカサハは約束より一本早いバスを見送り、シャナンを待った。
 遠くでは、まばらな蝉の音が夏の訪れを告げつつある。
 陽射しをうけ熱を帯びた額から、微かに汗が滲み始めてきた。あと五分ほどでバスが訪れるかといった時間に、シャナンは姿をみせた。
「おはよう、スカサハ」
「おはようございます。今日は、洋服なんですね」
 シャナンは、いつもの和服ではなく、白いポロシャツに黒いズボンを纏っていた。足元も、見慣れない革靴が艶を放っている。
「ああ。そういえば、おまえも制服ではないんだな」
「部活が休みですから」
「そうか。次の大会はいつだ?」
「来月末です」
 シャナンは剣道部の試合に毎回顔を出してくれた。スカサハと所属時期は被らないが、OBとして稽古を見にきてくれる時もあった。
 遠くから、一際低いエンジン音が聞こえる。きっと二人が乗るバスのものだ。
 間も無く、バスが目の前に止まった。降車客はいないらしく、後方の扉だけが開く。車内は目的地を共にするであろう人たちがまばらに座っていた。先に乗り込んだシャナンは、後ろから2列目の二人掛けシートに腰をかけた。スカサハもその隣に座る。男二人では少し幅の狭い席で、体がぴたりとくっついた。
 手と手が触れ、スカサハの頬が熱を帯びた。それも束の間のことで、シャナンは椅子においていた手を膝に移動した。スカサハも、倣って自身の膝に拳をおいた。
 無邪気な子供に戻りたくなった。そうすれば、ぶつかる手と手を繋ぐことができたのに。
 どうしようもない願いが、頭をよぎる。
 扉が閉まり、バスが発った。
 スカサハは、景色を眺めるふりをしてシャナンを見つめた。清潔感のある長髪に隠れて、表情はわからなかった。
 運転手は丁寧な人だった。停車するたび、再び動き出す前に指差し確認をする声が聞こえた。
 あまり揺れない車内で、座った時のまま二人の体はくっつきも離れもしない。
 5分か10分かして、ふとシャナンがスカサハのほうを向いた。柔らかい微笑みが口元に浮かんでいる。
「帰りは、窓側に座るか?」
 他の乗車客に気を遣ってか、その声は意識しないと聞き取れないほど小さかった。髪から爽やかな匂いが香る。
——窓際に座ったら、あなたの姿を見れません。
 口にできない想いが真っ先に浮かび、スカサハは言葉に詰まった。
 黙り込むスカサハの姿を、ぼんやりしていると勘違いしたらしい。シャナンが心配そうに覗き込んできた。うすく紫がかった黒の瞳が真っ直ぐにスカサハを見つめる。
「大丈夫か。顔が赤いぞ」
 指摘されて、スカサハの心臓が跳ねた。
「少し、ほてってしまったみたいです。今日は暑いので」
 やっとのことで返事をすると、俯いて膝をながめた。秘めている感情に気づかれたのではないかと、気が気でなかった。
「無理はするなよ」
 シャナンはそれ以上問い詰めて来なかった。愛しい人の熱を、半身に感じる。
 鼓動は、ちっともおさまりそうになかった。

 開店時刻に数分遅れて、ショッピングモールに到着した。
 建物を見上げる。その風貌は、数年前に見た時から全然変わっていなかった。
「懐かしいですね」
「ああ。おまえたちが高校に入学してからは、すっかり足が遠のいていたからな」
 人々の笑い声が、途切れることなく聞こえてくる。十メートルと置かずに人の姿があった。子連れの家族、女子学生、恋人らしい男女。数は少ないが男同士で来ている人もいる。
「賑わっているな」
「そうですね」
 人混みの中で、シャナンは特別な空気をまとっていた。そこにいるだけで、人々を魅了する、そんな空気だ。
「ね、今のひとかっこよくない?」
「え、誰々?」
 ひそひそと噂する声が、勝手に耳に入ってくる。
 シャナンが洋服を着てきたことに、スカサハは安堵した。いつもの和服だったら、きっと、もっと目立っていた。

 最初は、入口からすぐにある雑貨屋へ足を運んだ。女性客ばかりの居心地の悪さを堪えながら、店内を歩く。スカサハは、大切な人への贈り物探しを手伝ってほしいと、シャナンを誘っていた。買ったものを渡すことで、気持ちを明かす決心をしようと思ったのだ。
 雑貨屋の他にも、服屋、帽子屋、本屋、靴下屋。手当たり次第に立ち寄った。シャナンから行きたがった場所もあった。
 店に並ぶ物は、どれも輝いていた。一つを選んだ瞬間、失われそうな脆さのある、儚い輝きだ。
 スカサハの目的が達成されれば、幸福な時間は終わってしまう。そう思えて仕方なかった。
 何も買えずにいるスカサハに反して、シャナンは時々レジへと向かった。
 ボールペン、歴史小説、白い足袋。それから、女性用のシュシュ。黒を基調として、レースがあしらわれている大人っぽいデザインだった。それだけが贈り物なのだろう。ラッピングされた状態で、シャナンの手元に戻ってきた。
 シュシュを買ったすぐ後、二人は馴染みの和食チェーン店に入った。向い合わせで席に着く。椅子にかけられた袋から、赤い包装紙が見え隠れして、胸が痛くなった。
 知らないだけで、既に恋人がいるのかもしれない。そんな恐れを、今更になって感じていた。
「どうした、調子でも悪いか?」
 心境が顔に現れていたのだろう。シャナンは気遣うような顔をしていた。額に向かってまっすぐにシャナンの手が伸びてくる。スカサハは、その手に気づかなかったふりをして、席を立った。
「大丈夫ですよ。水、とってきますね」
 浮かれていたことが馬鹿みたいだ。それでもまだ、贈り物を買う前に——引き返せるうちに気がついて良かったのかもしれない。
 不思議と、プール開きではしゃいでいた小学生時代を思い出した。浮き足だった気持ちで学校へ向かっても、いざ水に入ると、その冷たさに終わりを望む。今朝までは、シャナンの近くにいたくて仕方がなかった。贈り物をして、想いを明かす心算だった。それなのに、今は見え隠れする女性の影に、帰りたい気持ちばかりが強くなっている。
 氷の入ったコップに、勢いよく水が注がれた。運ぶ手から、熱が奪われていく。
 席に戻ると、シャナンは品書きを眺めていた。
 邪魔にならないよう、静かに氷水をおいた。シャナンの視線が品書きから離れる。瞳が柔らかく細められた。
「ありがとう」
「はい……」
 座りなおすと、シャナンは品書きを閉じてスカサハに渡してきた。
「見るだろう、」
「いえ。シャナン様と同じものにします」
 わざとそっけなく返事をして、スカサハは受け取ることを拒んだ。
「そうか」
 短く頷いたシャナンが店員を呼ぶブザーを鳴らす。
 店員はすぐにやってきた。ハキハキとした若い女性だ。
「これを2つ」
 シャナンの端正にのびた指が、確認するように写真をさした。スカサハが好きな、唐揚げ定食だ。
 難なく注文を終えたシャナンは、卓に置いたままのメニューを眺めていた。
「スカサハ、気づいているか?」
 店員が去ってしばらくすると、シャナンが唐突に口を開いた。
「何にですか」
「おまえは、私とこの店に来ると、いつも唐揚げを頼むんだよ」
 口元は、昔を懐かしむように弧を描いている。
「それで、注文を決めたんですか、」
「悪くない判断だろう」
「……ありがとうございます」
 スカサハの口元は、緩んでいた。
 視界の端に包装紙がある。
 先刻よりも少し落ち着いた気持ちで、それを見ることができた。
 
 結局、スカサハは何も買わなかった。諦めはついても、想いを伝える決心は鈍ってしまっていた。
 帰りのバスは、窓際に座った。窓の外をじっと眺める。もう、夕暮れだった。空が茜に染まっている。時折、窓ガラスにシャナンの横顔が反射して映った。
 帰りの運転手は、少しだけ乱暴な人だった。必要以上に揺れる車内で、二人の体はくっついたり、離れたりを繰り返した。
 そのうち、スカサハは微睡みはじめた。昨晩は、ほとんど眠れていなかった。曖昧になった意識の中で、広く優しい手が、スカサハを撫でた気がした。

 別れ際、シャナンは1つの袋をスカサハに渡してきた。
「ラクチェに渡しておいてくれ」
 散々悩まされた赤い包装紙は、妹用だったらしい。
 きっと、スカサハとだけ遊びに出かけた埋め合わせなのだろう。
 昔から、シャナンは双子を平等に扱った。思い返せば、中学1年だったラクチェが、シャナンと二人で出かけた時もそうだった。
 当時のラクチェの気持ちに、気づいていたのか、いないのか。シャナンはスカサハへの贈り物を用意してくれた。不満げに唇を尖らせた妹から受け取ったキーホルダーは、今でも通学鞄を彩っている。
 スカサハは、シャナンの目を真っ直ぐに見つめた。透き通った瞳の奥に、曖昧な笑みを浮かべる姿がある。
「必ず、渡しますね」
「ああ、頼んだぞ。それから、部活が落ち着いたら、ラクチェと遊びにおいで。一緒に食事でもしよう」
「はい、それも伝えておきます。今日は、ありがとうございました」
 名残惜しさを残しつつ、別れの言葉を告げた。
「私も、久々におまえと一日を過ごせて楽しかった。気をつけて帰れよ」
 シャナンは、髪を靡かせて後ろを向いた。小さくなる背中が、点になるまで見つめ続けた。
「やっぱり俺は、あなたのことが——」
 ぼそりと呟いて、スカサハも帰路につく。
 夏の気配が、すぐそこにあった。

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