シャナンは旅支度をしていた。家宝である神剣バルムンクがあるというイード神殿へ向かうためだ。そこはロプトの本拠地でもある危険な場所だった。だが、帝国に抗う未来を考えれば行かない選択肢はなかった。
旅支度も半分が終わった頃、部屋の扉を叩く音がした。返事だけで入室を促すと、控えめに扉が開いた。シャナンは入ってきた姿を一瞥してたずねた。
「スカサハ、何か用か?」
スカサハはしばらくまごまごとしていたが、やがて決心したように頭をさげた。
「俺を神殿へ連れて行ってください」
荷造りの手を一度止めて、シャナンはスカサハを見た。
「だめだ」
スカサハは稽古だけなら大陸でも指折りだろう強さを誇るが、実戦経験が明らかに不足している(正確には、シャナンが遠ざけていたため実戦の機会がなかった)。いきなりロプトの本拠地との対魔道士戦を乗り越えられるとも思えなかった。
「おまえを連れていけば、私はきっとひどく後悔する」
「俺では、力不足なんですね……」
スカサハはやるせなさそうに呟いた。シャナンは静かに首を横に振る。
「おまえが力不足なわけではない。ただ、私がおまえの成長機会を奪ってしまっただけだ」
シャナンが恐れずスカサハを実戦に連れて行っていれば、既に頼りになる存在となっているはずだった。イード神殿に行きたいという申し出も受け入れていただろう。
シャナンは、弟子たちに対して二つの相反する感情を行来させながら生きてきた。今後起こる戦果の中で身を守る術を授けたい気持ちと、今生きている姿を危険から遠ざけたい気持ちだ。
本当は、スカサハが共に来てくれるのなら心強かった。一人きりでの旅は寂しい。万が一があったときの連絡も一人旅ではままならない。
オイフェがいる限り城のことは心配ないだろう。スカサハが実戦を知っていれば、と思わずにはいられなかった。
「俺たちを実戦から遠ざけたことを悔やまれているのですか」
スカサハは意外そうに目を瞬かせていた。シャナンは顎に手を添えて悩んだ。俺たちの「たち」は、きっと双子の妹を指しているのだろう。
「……いや、おまえに対してだけだ。おまえには、冷静に周りを見る目があるからな。ラクチェは剣の腕こそ立つが無茶をするだろう」
「そうですね。あいつの向こう見ずにはいつも頭を抱えます」
二人は同時に小さく笑った。
ラクチェの剣の在り方はその母アイラに似ていた。己を顧みずに突き進む剣。ラクチェを守るには、実戦の機会を最小限に抑えるのが正解に違いなかった。あるいは、側で気にかける冷静な目があれば少しは違ってくるだろう。
「スカサハ、一つだけ頼みごとをしてもいいか」
「はい、もちろんです」
「留守の間、私の役目をおまえに任せたい」
スカサハは、ぽっかりと口をあけて、それから慌てて首を横に振った。
「俺なんかでは力不足ですよ」
「私は、おまえならできると思ったから言っているんだ。それとも、私の目を疑うつもりか」
シャナンはスカサハの手首を強く握った。よく鍛えられた逞しい腕だ。
スカサハがシャナンの後悔に気づかなければ、きっと何も託さずに旅立っていた。無理な頼みをして、心優しいスカサハに傷を残すような真似はしたくなかった。しかし、スカサハはシャナンが思っていた以上に強く、冷静な洞察力を持っていた。
「わかりました。シャナン様が留守の間は、俺が皆を、ラクチェを、そしてセリス様をお守りします」
スカサハは、覚悟を決めた顔で頷いた。セリスへの想いまで見破られていたことに、シャナンは内心驚かされた。
「ありがとう、これで安心して旅立てる。それから、これを預けよう」
シャナンは首から下げていた革紐(紐の間には、くすんだ銀の指輪が通されている)をスカサハに渡した。
「私がセリスを守ると誓ったときにシグルド様から託されたものだ」
スカサハは緊張した様子で指の先を揃えた。
「そんな大切なものを……」
「セリスが戦う決意を定めた時に渡そうと思っていたんだ。何もないとは信じたいが、もしもの時はおまえからセリスに渡してほしい」
スカサハは受け取った紐を首にかけた。
「あなたから託された役目は、必ずまっとうして見せます。シャナン様も、どうか道中お気をつけください」
芯の定まった瞳がシャナンを見据えていた。シャナンは、うむ。と短く返事をして、荷造りを再開した。