聖戦の系譜

いくらでもくれてやる

 シャナン様の戦い方は危うい。
 昔は、純粋にその強さに憧れていた。神剣バルムンクを手に戦う姿を見た時も、神器の頼もしさに圧倒されるばかりだった。けれど、次第に不安を覚えることが増えていった。実力に対して、どう考えても傷の増え方がおかしかったからだ。
「スカサハ、シャナンがまた敵に切られて怪我をしたみたいなんだ……」
 乾いた風が吹き抜ける夕暮れ。セリスは心配そうに瞳を伏せた。敬愛するシャナンが無茶な戦い方をすることは、二人にとって共通の悩みだった。
「どうしてシャナンは自分を大切にしてくれないのかな……」
 セリスの呟きにスカサハは頷いた。頷きながら、一つの決意を固めていた。今日こそ、シャナン様に無茶な戦い方をやめさせる。
 スカサハはセリスを安心させるように胸を叩いた。
「今からシャナン様と話してきます。それで、無茶な戦い方をやめてもらいます」
 言うが早いか、スカサハはシスターの詰める簡易テントに最短距離で向かった。
 ずかずかとテントに踏み入ると、シャナンはユリアの治療を受けていた。スカサハは、テントにきた時の勢いを残したまま尋ねた。
「シャナン様、どうして前線で無茶なさるのですか」
 シャナンは顔を上げず、むすりと眉根を寄せた。
「無茶などしていない」
「ですが、俺にはあなたが死に急いでいるようにしか見えません」
 唐突に始まった口論に、ユリアがおろおろと視線を彷徨わせた。
「別に死に急いでなどいない。だいたい、おまえだって怪我くらいするだろう」
 ユリアは、おろおろしながらも治療の手を止めずにいた。そのことに、スカサハは小さく安堵のため息をついた。
「俺の怪我は、単なる実力不足です」
「私とて同じだ」
「一緒じゃありません」
「なぜそう言い切れる」
 いつの間にか治療を終えたらしいユリアは、テントの端から二人を静観していた。明らかに困っている。スカサハは言い返したくなる気持ちを堪えて沈黙をつくった。
 その気遣いに対してか、ユリアはぺこりと小さくお辞儀した。それから、遠慮がちなか細い声をだした。
「あ、あの……終わりました」
「ありがとう。いつもすまないな」
「い、いえ……。あの、なんでも治せるわけではありませんので、怪我にはお気をつけくださいね」
 シャナンは治療を受けるまで身につけていただろう衣服を左手に持つと、上半身を晒したまま立ち上がった。テントの入り口に立つスカサハを押しのけるようにして進んでいく。心なしか、最初に話しかけた時よりも眉間の皺が深くなっていた。
 そのすぐ後ろを、スカサハは追いかけた。
「俺は、あなたが心配なんです」
「それはわかっている」
 シャナンは一呼吸おいて続けた。
「だが、私はおまえの心配なんか迷惑だ」
 その言葉に、スカサハは狼狽えた。迷惑だ、と直接言われるとは思っていなかった。シャナンはいつだって優しく、慎重に言葉を選んでくれた。
 剣が伸び悩んだ時も、反抗期でついひどい言葉をかけてしまった時も、シャナンの言葉は、厳しいことも柔らかな綿で包んでからスカサハに届けられた。
 狼狽えている間にシャナンの背中が少し遠ざかり、スカサハは小走りをした。
「あなたに迷惑がられても、俺は自分の身を削るような戦い方をしてほしくはありません」
 追いついたシャナンの腕を掴むと、抱えられていた衣服が地面に落ちた。シャナンは鋭い眼光で睨んできた。その眼には、怒りではなく悲しみが満ちていた。
「私のことなど気遣うな」
「嫌です」
 振り解こうとされた手を、スカサハは強引に掴み続けた。例えシャナンに嫌われることになっても、こればかりは主張を譲るつもりがなかった。
「……私は、おまえたちを守るために生きている。そのためなら、こんな命いくらでも——」
 シャナン様はわかっていない。
 そう思うと同時に、ぱん、と頬を叩いた時の乾いた音がして、シャナンの言葉が不自然に途切れた。目の前にある頬が赤く腫れている。じんじんとした痛みがした。震える手のひらはうっすらとシャナンの頬と同じように、赤く色づいている。それでようやく、自分が叩いたのだとスカサハは気づいた。
 動揺を必死に抑えて、まっすぐシャナンの瞳を見つめた。瞳をそらされても、スカサハは見つめ続けた。謝るより先に伝えるべき言葉があった。尊敬する人の頬を叩いた以上、何がなんでもシャナンの無茶な戦い方を止めてもらわなければ。そうしなければ、やりきれないと思った。
 スカサハは深く息を吸って、思いの丈をまくしたてた。
「あなたがそのつもりなら、俺はあなたを守るために生きます。あなたが死んだら、俺が後を追ってやる。一人で死ぬなんて許しません。そうすれば、あなたはあなたを大事にしてくれますか?」
 途中から、シャナンはただ目を丸くしていた。スカサハの言葉に怒るでも喜ぶでもなく、漠然と立ち尽くしていた。
 沈黙が気まずい。伝えるべきことを言葉にしたからか、叩いたことへの罪悪感と後悔がひしひしと湧き上がって我慢できなくなった。
「それから、叩いてごめんなさい。あなたを粗末に扱われるのが我慢できず、勝手に体が動いてました……」
 しんみりとした気持ちで幅広の肩を丸く縮めると、ようやくシャナンは呆れたように笑った。
「まったく、おまえは困ったやつだな。生意気になったかと思えば、子供らしくいじけるのか」
「怒って、いないんですか?」
「私のためを思って叩いてくれたのだろう。実際、結構堪えたぞ。おまえは、その馬鹿力を自覚したほうがいい」
 シャナンは、スカサハの手首を掴んで、腫れている頬を触らせた。スカサハは握りしめていた手を開き、まだじんじんとする手のひらで熱っぽい頬を感じた。
「だが、私の後を追って死ぬなんて言わないでくれ。おまえの気持ちはわかったから。私も、私を大切にするから、だから……」
「あなたがわかってくれたのなら、俺はちゃんと自分を大切にします。ただ、シャナン様が俺たちを大切に思うように、俺にとってもシャナン様が大切だってことを、理解してほしかったんです……」
「わかっているよ」
 シャナンはそう言って、落ちていた衣服を拾った。軽く土を払い、袖を通す。ボタンを止めて、きっちりと服を着ると、最後に服の中に埋もれていた髪を腕でひきあげた。ふわりと広がった髪が、間も無く沈みそうな日の光できらきらと輝く。
「スカサハ、野営地へ戻ろうか」
 シャナンに差し出された手を、スカサハは控えめに握った。
「その頬、治療しますか?」
「いや、しばらくこのままにしておこう」
 歪に腫れた頬を、シャナンは赤子に触れる時のような手つきで撫でた。
「この世には、消すべきではない痛みもあるんだよ」
 繋いでいる手を確かめるように、シャナンの手に力がこもった。一層はっきりとした手の輪郭を感じながら、スカサハは暗くなった道を一歩ずつ確かめるように歩いた。

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