聖戦の系譜

フリルブラウス

 レンスター城へ帰り数日が過ぎた晩。その日は、屋内でもたまらず身を震わせるほど寒さが厳しかった。
 月明かりと一本の松明を頼りにフィンはリーフを探していた。探すといっても、行き先は決まっている。
(また、キュアン様のお部屋にいらっしゃるのだろう)
 かつて戦地となり寂れた部屋にリーフはよく入り浸っていた。その行動は、王になる覚悟を決めるため、父の姿を頼っているように映った。
 崩れた城壁から外の風が吹き込む空間は、ほとんど外気と変わらない寒さになっているだろう。フィンは防寒のためのマフラーや手袋、羽織物を片手に携えて進んだ。
 目的地へたどり着いた時、リーフは寂れた部屋の床に膝をついていた。キュアンの遺品を、月のような静けさで見つめている。
 長いこと帝国に占領されていたレンスター城は、フィンの知っている面影を残しながらも別の姿へと変わっていた。
 戦争で多くが壊され、失われた。
 キュアンと過ごした場所もすっかり変化していた。槍の稽古をつけてもらっていた思い出の木は焼けて幹だけが残され、初めて言葉を交わした厩の跡は最早どこにもない。
 残った場所にも帝国軍の爪痕が色濃く残っていた。例えば、トラキアの伝統工芸である木製の飾り皿を置いていた場所には、グランベル名産の磁器が並べられている。
 かつてのままレンスターに残されているものはあまりにも少ない。
 そんな中リーフが手に取っていたのは、年月をかけて薄茶にくすんだフリルブラウスのようだった。とっくに消失していても不思議ではないそれは、戦場となり荒れ果てた部屋で奇跡的に残されたものだった。
「リーフ様、やはりここにいらしたのですね」
 声をかけると、リーフはキュアンと同じ栗茶の瞳を見開きながら顔を上げた。
「フィン、どうかしたのか」
「こんな寒い日に、お姿が見えなかったので」
「心配してきてくれたのだな」
 リーフの目が細められた。普段の目は母親によく似ているが、細んだ目元は不思議と父親にそっくりだ。
 キュアンはよく目を細めながら頭を撫でてフィンを褒めてくれた。当時は主君に気にかけてもらえる喜びと、見習いとはいえ騎士である存在が頭を撫でられる気恥ずかしさでよく悩んだものだった。
 だが、失ってからはただひたすらにキュアンの手が恋しくなった。
 撫でてもらえなくなった分、フィンはリーフの頭を撫でた。幼かったリーフはその度に無邪気な笑い声をあげたり、照れくさそうに俯いたりして、フィンの手を受け入れた。
 それすらもリーフの成長とともに無くなり、今はただ主君と一人の従者として適度な距離で接する日々が続いている。
 キュアンと共にイード砂漠で散れなかった恥を雪ぐように、最後に託された存在を守り育ててきた。フィンにとってリーフを育てることは騎士としての使命でもあった。
 冷たい隙間風のせいだろうか。いつもより感傷的な気分に浸ってしまう。
 気を取りなおして防寒具を抱える腕に力をこめる。
 いつの間にかリーフが手招きをしていた。
「フィン、少しこちらへ来てくれないか?」
 フィンは入口近くの鉄製の突起に松明をかけてから近づいた。
 リーフはフィンがすぐそばに控えるのを待ってから、躊躇いなくキュアンの遺品を手渡してきた。
「今日からフィンのものだ」
「ですが、これはリーフ様にとっても……」
 両親からリーフに残された数少ないものを受け取ることに負い目を感じ、渡されたブラウスを返そうとした。けれど、リーフの意思も固いらしい。リーフはブラウスを受け取らずに、反対の手からマフラーを抜き取った。
「代わりに、フィンが持ってきたこのマフラーをくれないか?」
「これは元々リーフ様に渡そうと用意したものです」
「いいから、代わりということにしたいんだ」
 リーフはまだ生地の張りが残る青いマフラーを首に巻き、フィンが持ってきた他の防寒具も次々と身につけた。
「……温かいな」
 マフラーに顔を埋めながらつぶやくリーフの息は白い。キュアン様も、と想像しかけてかぶりを振った。
「フィン、私は先に戻るよ。それから、今日でなくてもいいがこの部屋を片付けておいてくれ。欲しいものがあれば持っていって構わない」
 リーフは傍に転がしていた松明に、フィンが持ってきたものから火を移した。炎のゆらめきに照らされながら背中が離れていく。わずかに垣間見えた強引さに、結局キュアンの姿を重ねてしまった。
「片付けろと言われましても……」
 フィンは冷たい風を頬に感じながら、部屋を見回して困り果てた。
 荒れた部屋はリーフが片付けたのだろう。寂れた中でかつての面影を感じさせる程度には整っており、床の掃除くらいしかできることがない。
 掃除をしたところで、崩れた城壁の隙間から砂が入り込むので意味はない。
 せめて受け取ったブラウスを畳直そうとした瞬間、フィンはその大きさに涙をこぼしたくなった。
(いつの間に、私はあの方の背丈を超えていたのでしょうか)
 フィンの記憶の中では、キュアンの顔はいつも見上げた先にあった。
 今だって、キュアンを思い出す時にはいつも無意識に顔を上げてしまう。
 フィンは広げたブラウスに縋るように強く抱きしめた。
「キュアン様、リーフ様は立派に成長されました。あなたが最後に託された望みを、私は果たすことができましたか……」
 声は冷えきった空間に広がるばかりで、返事は返ってこない。
 けれど、フィンだけは確かに聞こえないはずの声を聞いていた。
「フィン、よくやったな」
 冷たかった空気に春が兆し、大きな手のひらが頭を撫でた気がした。

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