聖戦の系譜

おさがり

 夜中、ふいに目が覚めてしまった。ひとりぼっちの暗闇は心細い。普段ならば再び眠くなるまで我慢するが、その日はどうにも耐え難かった。何かあるわけではなかった。ただ、寂しさが全身に染みてしまい、もう一度眠れる気がしなかった。
 スカサハは静かに体を起こした。壁伝いに暗い廊下を歩く。二つ隣のシャナンの部屋を目指していた。
 目的地からは薄らと灯りが漏れていた。まだシャナンが起きていることに安心して、少しだけ歩調を速めた。
 扉の前にたどり着くと、扉をきっかり三回叩いた。少し待ってから名前を名乗る。すぐに返事が聞こえ、一分も待たないうちに扉がひらいた。視界に広がる眩しさの中で、心落ち着く姿が笑いかけてくれていた。
「こんな遅くにどうしたんだ」
 シャナンは、普段出歩く時よりも幾分も楽な格好をしていた。目の下には濃いクマがある。態度はスカサハを受け入れているが、随分と疲れている様子だった。さらに、部屋の奥には、椅子に腰掛けるオイフェの姿もあった。
 オイフェは、短い時間スカサハに微笑みかけたきり、手元の書類に視線を向けていた。金銭の管理をしているのかもしれない。
 最近、大人たちは普段以上に、生活のやりくりに頭を悩ませているようだった。
「ごめんなさい。おれ、帰ったほうがいいですか?」
 おそるおそる訊ねると、優しい手がスカサハの頭に触れた。
「大丈夫だ、遠慮するな。なにか怖い夢でも見たのか?」
 スカサハは小さく頷き、シャナンの服の端を掴んだ。シャナンが微笑む気配があった。大きな手が、スカサハを安心させるように撫でてくれる。
「心細かったな。だが、もう大丈夫だ。私がいる」
「はい」
 シャナンのそばは、一番心が落ち着く場所だった。寂しさが和らぐと、ゆるやかな眠気がやってきた。スカサハは大きな手に導かれるまま、シャナンの匂いに包まれて眠りについた。
 
 目覚めた時には、シャナンの姿もオイフェの姿もなかった。
 真夏にもかかわらず、少し肌寒い朝。シャナンたちが最近頭を悩ませている原因も、この寒さだった。
 ティルナノグは、近年稀に見る大寒波に見舞われていた。冬の間からその兆候はあった。今年は普段よりも雪が高く積もった。一番雪が深い時には、扉が塞がれて外に出られないほどだった。さらに雪解けも遅れて、春の暖かさは儚く終わってしまった。ずるずると長引いた冬は今も尾を引いている。
 長引く寒さは作物の成長を妨げた。近隣の住民たちは、不足する食糧をわけ合ってどうにか暮らしているが、それもいつまで保つか怪しかった。さらに不作の影響で紙や服の値段も釣り上がった。おかげで、今まで通りの生活は難しくなっていた。
 生活苦は治安の悪化にもつながった。
 温厚な人が多いティルナノグでも、気づけば村民同士の諍いが増えていた。大人たちは、念の為と言って、子供たちの外出を禁じた。
 最初のうちは子供たちも素直に従っていたが、終わりの見えない制限に不満が募る。外を出歩けない文句を直接訴えることこそなかったが、皆が少しずつ短気になり、喧嘩が増えた。おかげで、ますます大人たちは困り果てている様子だった。
 スカサハは、状況を深刻にとらえていた。日々シャナンたちを助けられないか悩み、懸命に案を考えていた。
(おれに、何かできることは……)
 部屋を出ようと起き上がった時、昨晩オイフェが手にしていたらしい書類が視界に入った。
 珍しいこともある。
 スカサハは少し後ろめたさを覚えながら、机の上の紙を覗き込んだ。
 それは、長年出入りが禁止されていた蔵の、保管品の一覧だった。
 
 足音が妙に大きく響く時間。スカサハは、薄暗い廊下の中にオイフェの姿を見つけた。小走りをして追いかける。間も無く追いつくだろうところで一度足を止めた。周囲に人がいないことを確認してから、小声でオイフェの名前を呼んだ。
 オイフェは自然な動きで振り向くと、スカサハの目を覗くようにして膝に手をついた。
 優しい目が無言で続きを促している。スカサハは、ぎゅっとズボンを握りしめて、声を振り絞った。
「オイフェさんに相談があるんです」
「やっぱり、見てしまったんだね」
 抱えていた後ろめたさも相まって、オイフェの声はスカサハを責めているように聞こえた。居心地悪く肩をすぼめる。
「……ごめんなさい」
「ぼくも、きみが来たのを知っていたのに片付け忘れたんだから、お互い様だよ」
 オイフェは意外にも、スカサハを慰めるように微笑んだ。スカサハは、少し安心して息を吐いた。
 オイフェさん、と話しかけるより先に、オイフェが口をひらいた。
「スカサハは、蔵の整理を手伝いたいの?」
 スカサハはさして驚かずに頷いた。
 シャナンもよく、オイフェに隠し事はできないと口にする。シャナンでも隠せないのなら、スカサハが隠せるはずもない。
「セリス様にも、ラクチェにも絶対に秘密にします」
 オイフェはゆっくりと目を閉じて、しばらく返事をくれなかった。緊張で腕が震える。もう一度念押しするか悩んで、黙ったままでいた。
 やがて目を開けたオイフェは、仕方なさそうに微笑んだ。
「見せてしまった僕の責任だね」
 それから、みんなには内緒だよ、と口の前で人差し指を立てながら囁いた。
 
 そこかしこに蜘蛛の巣がある埃っぽい蔵には、古びた物が山のようにあった。
 乾いた血の跡が残る剣や、長旅を想起させる底がすり減った靴。
(きっと、シグルド様たちとお別れした頃のものだ)
 当時のことを人伝にしか知らないスカサハでも、感情がざわめいた。シャナンは何も教えてくれないが、十歳にもなると、ある程度のことは理解している。
 ちょうど今のスカサハと同じ頃、シャナンは大事な家族も、恩人も、何もかもを失ったらしい。シャナンの命を救った恩人は、そのせいで反逆の罪を被せられたと、以前、風の噂で聞いてしまった。
 シャナンが重ねてきた経験は、別れを知らないスカサハには想像できないほど、胸の痛むものに違いなかった。けれど、スカサハは幼い時からただの一度もシャナンが泣く姿を見たことがなかった。過去を思い出して浮かべる寂しげな顔は知っているが、それだけだった。そして、シャナンが寂しげな顔さえも隠したがっていることを、スカサハはよく理解していた。
 現に、昔を思い出させるであろう物々を前にしても、シャナンは平然としている。近くにスカサハがいるから、感情を抑えているのだ。
 落ち着き払った表情との距離に、ため息をつきたくなる。憧れの人を見上げるたび、スカサハは内心で決意した。いつか大きくなったら、シャナン様の苦しみを半分でも引き受けるんだ、と。もう何度目になるかも覚えていない決意を胸に、手を動かし始めた。
 
 作業は淡々と進んだ。スカサハは使えそうなものを見つけるたび、シャナンのそばに近づいて必要かどうかを訊ねた。半分は必要で、半分は置いていくように言われた。剣は運び出し、靴は残していく。そんな具合だ。使えるものは使い、他に状態が良いものがあれば、村に渡して金にするらしい。
 長らく人が立ち入っていなかったはずの蔵は、意外にも整頓だけはしっかりとされていた。木箱が積み重なる形で物が保管されている。一時間ほどかけて上の箱を確認し終えたスカサハは、下の段も見るために箱を動かそうとした。金属製の防具や武器も仕舞われている箱は重たかった。一度大きく息を吸ってから、呼吸を止めて力を込める。
 なかなか持ち上がらずに苦労していると、シャナンが怒鳴り声にも聞こえる慌てた様子で叫んだ。
「待て、スカサハ」
 びくりと動きを止めて、箱から手を離す。あまりの勢いに驚いたが、どうやら怒ってはいないようだ。胸を撫で下ろしてシャナンと向き合うと、シャナンは膝を曲げてスカサハを見つめた。
「これは重くて危ないから、運ぶ前に必ず私に伝えてくれ。そうでなくとも、あまり無理はするなよ。わかったな」
 優しく諭されて、スカサハは頷いた。心配をかけた申し訳なさと、心配してくれた嬉しさで、感情がぐるぐると巡る。その間にシャナンは軽々と箱を持ち上げて、隅にどかしてくれた。
 
 下の箱には、古い衣服が詰め込まれていた。独特の、鼻につく匂いはするが、生地が大きく痛んでいる様子はない。たまに虫食いの穴が見つかる程度だ。
 スカサハは、一枚一枚丁寧に取り出して、ティルナノグに暮らす皆が着れそうなものを探した。
「なんだ、懐かしいな」
 半分ほど取り出したところで、シャナンがスカサハの手元を覗いてきた。
「シャナン様のお洋服なんですか?」
「私がイザーク城で暮らしていた頃の服だ。ほら、他と作りが違うだろう。これだけはイザークの服だからな」
 シャナンは、そう言って服を見せてくれた。スカサハには違いがわからず目を凝らすと、シャナンは首元を指差した。
「何か気づかないか?」
「……普段の衣服よりもゆったりして見えます」
 気づきを指摘すると、シャナンが嬉しそうに顔を綻ばせた。それから、服をスカサハの肩に合わせてくれた。
「お前には少し小さいな」
 手元に戻ってきた服をもう一度よく眺める。子供たちの中で一番小さいスカサハでも着れないのなら、持ち出すことは難しそうだ。村に渡して手放すことも、なんだか勿体なかった。
「そう落ち込んだ顔をするな」
「他にも、シャナン様のお洋服はありますか?」
「そうだな。これと、あとは——」
 シャナンが教えてくれたのは、どれも襟がきちっとしているグランベルの服だった。一番最後に渡された服は、スカサハより一回りだけ大きかった。他の服よりだいぶ着古したのか、形は少し崩れている。
「おれ、この服なら着れそうです」
「これか……」
「いけませんか?」
「いや、懐かしかっただけだ。形は崩れているが、エーディンに頼めば直してくれるだろう」
 シャナンはそう言って、懐かしがるというよりも、寂しそうな顔で衣服を畳んだ。
 
 袖の短い服はこれからの季節に丁度いいから、と微笑んで、エーディンは二日で服を直してくれた。スカサハは、服を受け取るなり自室へ戻った。
 胸を高鳴らせながら、服の袖に腕を通す。手元にあるおさがりの服は、スカサハの背丈ぴったりに直されていた。浮かれる気持ちをどうにか押さえて、ボタンを一つ一つ数えながら閉めていく。
 最後のボタンを閉めた後、凛と背筋を伸ばした。なんだか、逞しくなった心地だった。憧れの人の衣服は、普段スカサハが着るものよりも肌触りが良い。
 緊張感と、よろこび。双子の妹が、からかってチビサハと呼ぶほど小さな背丈に、珍しく感謝していた。
 あまりの嬉しさに部屋の外へ出ると、ラクチェが廊下を歩いていた。隣にはラナもいた。
「どうしたの、それ」
「シャナン様から頂いたんだ」
「え、ずるい!」
「ラクチェじゃ着れないよ」
 双子にもかかわらず、ラクチェの背丈はスカサハよりも頭一つ大きい。たとえ丈を直す前だとしても、着れる大きさだとは思えなかった。
「それは……」
 言葉に詰まった姿をなだめるように、ラナがラクチェの手に触れた。
「ラクチェだって色々と貰っているじゃない。アイラさんのピアスも、シャナン様の古くなった剣も、スカサハに譲ってもらったんでしょ」
「そうだった。……ごめん、スカサハ。似合ってるわよ」
「うん」
 その後も、共に暮らすセリスやデルムッドに服を褒められたスカサハは、すっかり上機嫌になっていた。
 今にも駆け出しそうな心地で、城のあちこちを歩いてまわる。
 例年よりも彩りの少ない中庭に、オイフェの姿があった。
「オイフェさん」
 スカサハを認めたオイフェの目が、一瞬だけ見開かれた。
「シャナンから貰ったの?」
 隠しきれていない苦しさが明確に滲みでている声だった。
 スカサハは、蔵に入った時のシャナンの顔を思い出した。それから、シャナンたちが経験してきたであろう過去を思った。
 蔵の中で得た胸のざわめき。スカサハには、大人たちが蔵に入る姿を見かけた記憶がほとんどなかった。実際、長らく中に入っていなかったのだろう。蔵には、あちこちに古い蜘蛛の巣があった。
 シャナンやオイフェにとって、蔵は避けたい場所だったのだ。そして、スカサハが着ている服はきっと好ましいものではない。むしろ、忘れたい類の、スカサハには想像しきれない苦しい記憶に繋がっているのだろう。
 ひどいことをしたと思った。胸いっぱいにあった誇らしさが急速にしぼんでいく。代わりに、罪悪感が重くのしかかった。
「ごめんなさい。オイフェさん、シャナン様……」
「スカサハ、どうして泣いているの?」
「おれが、何も考えずに、嫌な記憶、思い出させちゃったから……」
「そんなことないよ。だって、シャナンはきみがその服を欲しがった時に、いいよって言ったんでしょ?」
「だけど、おれ……。シャナン様は、やさしいから」
「大丈夫だよ、スカサハ。ごめん、ごめんね」
 大丈夫という声と共に吹いた風は冷たく、スカサハは俯いたきり顔をあげられなかった。
 
 木箱にしまいこんだ服を、スカサハはなるべく考えないようにして過ごした。考えないようにと気をつけるほど、思い出して悲しくなった。一生懸命に気持ちを切り替えようとしている間に、季節は変わっていた。
 ほとんど夏を感じないまま訪れた秋。少し物足りない食事を終えたスカサハが皿を洗っていると、シャナンが話しかけてきた。
「お前はまだ半袖か」
 呆れ半分といった調子だった。シャナンは長袖を着てもまだ寒いのか、服越しに腕をさすっていた。
 スカサハも、少し寒いと思っていた。けれど、着れずにいるおさがりの服が心残りだからとは言えず、無理に胸を張った。
「洗い物には半袖が楽なんです」
 すすいでいた食器の、最後の一枚を水切り用の板の上にのせる。シャナンは赤くなったスカサハの手を見つめていた。
「まったく、風邪を引く前に着替えるんだぞ。……そういえば、今年は間に合わなかったな」
 突然の言葉に、スカサハは首を傾げた。
「ほら、蔵で渡した服だよ。もう、あれを着るには寒くなってきただろう」
 思いがけない言葉に、どう返事をすればいいかわからなくなった。
 スカサハの戸惑いが悲しそうに見えたのか、シャナンは元気づけるように明るい声を出した。
「来年も着れるさ。そう落ち込んだ顔をするな」
 優しい言葉が胸に沁みる。スカサハは泣きたい気持ちを堪えて言葉を探した。誤解を解くべきか悩みながら、結局最後は頷くことしかできなかった。
 
 
 
 照りつける日差しが痛かった。痛いのは日差しだけではなかった。膝や肘、関節という関節がズキズキと痛む。スカサハは、周りより少し遅れて、成長期を迎えていた。
 寝て起きたら背丈が変わっている有り様で、今まで着ていた服がほとんど着れなくなってしまった。仕方なく、服をしまっている木箱を整理することになった。十六歳の夏だった。
 木箱の中身を引っ張り出している途中、シャナンが数着の服を片手にやってきた。
「これならお前も着れるだろう」
 渡されたのは、いつもシャナンが着ている服だった。受け取っていいものか悩んでいると、シャナンは勝手に木箱の端に服をしまった。
「遠慮するな。私はもう着ないものだ」
 嘘だとすぐにわかった。しまわれた服には、去年シャナンがよく着ていたものも混ざっていた。けれど、スカサハはあえて指摘しなかった。
 シャナンは服の整理を手伝ってくれた。手放す服は、いつも通りティルナノグ村の住民へ譲ることになっていた。着る季節や大きさに応じて服を分け、譲り、代わりに新しい服を手に入れる。そのための整理整頓だった。
 そして見つかってしまった、六年前の苦い記憶が。迂闊だった。スカサハは、シャナンが手に取るその瞬間まで、一度しか着なかったそれの存在をすっかり忘れていた。
「まだ、持っていたのだな」
 淡々とした声だった。近くから匂う香が息を詰まらせる。
 蔵の整理を手伝いおさがりの服をもらった翌年、スカサハは嘘をついた。無くしてしまったと言って、もらった服を二度と着ようとしなかった。けれど、どうしても手放すことだけはできなかった。何度、服を整理しても、気づいた時には木箱の奥に戻していた。
「シャナン様、俺……」
「いい、無理に話さずともわかっている」
 シャナンはそう言って、悲しげに目を細めた。
「昔、お前の様子がおかしかったから、オイフェに聞いてしまったんだ。聞いていながら、私は何も言ってやれなかった。すまなかった、スカサハ」
「違います、あれは俺が悪かったんです。俺の考えが足りなかったから……」
「まったく、お前は変なところばかり私に似てしまったな。そんな風に自分を責めるな」
 悲しげに目を細めたまま、シャナンはスカサハを抱きしめてくれた。
 気恥ずかしいけれど、ゆっくりと心が満たされていく。ふれ合っている箇所から体温が沁みて、全身が温かかった。
 スカサハは、過ぎ去ってしまった夏を思い出して泣きたくなった。もう少し長くシャナンが抱擁を続けていたら、きっと、泣いてしまっていた。
 静かに体温が離れた後も、体は温もりを得たままだった。暑さを思い出した額からは汗が滲んだ。
 シャナンはスカサハの両肩に手をおいたまま、スカサハを見つめていた。丁度視線と同じ高さに優しい瞳があった。
「スカサハ、むしろお前に感謝していたくらいなんだ。あの年、蔵に入る勇気を持てずにいた私たちを進ませてくれたのは、お前だったんだよ」
「俺が?」
 スカサハの困惑に構うことなく、シャナンは話し続けた。
「ああ。お前のおかげだ。それに、お前が私の服を着たがってくれたことも、嬉しかったんだ」
「……きっと、みんな着たがると思います」
「そうかもしれないな。だが、面と向かって着てみたいと言ったのはお前だけだった」
 心臓がちくりと痛み、瞳を逸らしてしまった。唯一、声に出しておさがりを望んだスカサハも、シャナンの前で着ることはなかった。傷つけてはならないと、勝手に判断して諦めた。
 後悔が顔に出ていたらしく、シャナンは困ったように眉を下げた。
「気にするなと言っただろう。お前は何も悪くない。……すべて、私たちの責任だ」
「責任、ですか」
 喉に小骨が引っかかったような違和感があった。
「シャナン様のどこに責任があるのですか?」
 服を欲しいとねだったのも、着ないと決めたのもスカサハ自身の選択だった。
「どこ、と言われると難しいな。だが、私の守るべき存在が傷ついたのなら、それは私のせいだろう」
 シャナンはそう言いながら、少し悲しそうな顔をした。その顔を見てはっとした。
「シャナン様のせいではありません」
 スカサハは、シャナンの抱える苦しみの一端がわかった気がした。
(シャナン様は責任に敏感すぎるんだ)
 おそらくは無意識のうちに、必要のない責任まで、あちこちで背負ってきたのだろう。
「俺は、傷ついたわけではありません。あなたの服を初めて着た時、嬉しくて仕方がなかったんです。着ないことにしたのも、シャナン様たちを傷つけるくらいなら我慢したい、俺の勝手な願いです。あなたに責任を感じて欲しかったわけじゃありません」
 スカサハは必死だった。
 幼い頃から何度も決意を重ねてきた。いつか大きくなったら、シャナン様の苦しみを半分でも引き受けるのだと。
 今が、その決意を形にする時だと思った。
 過ぎた日々の傷は取り返しがつかない。けれど、目の前で作られようとしている苦しみならば、スカサハでも引き受けられる。
「ならば、お前が抱えていた後悔を、私はどうしたらいいんだ」
「どうもしなくていいんですよ。だって、それは俺のための感情ですから」
 それから、スカサハはシャナンが譲ってくれた服を手に取った。
「それに、昔の俺は救われました。あなたが譲ってくれた服を、今度はちゃんと小さくなるまで着てみせます」
「私より大きくなるつもりか」
「あっという間ですよ」
「……それは、少し複雑だな」
「もう、チビサハとは言わせませんから」
「私は一度も言ってないぞ」
 シャナンはそう言いながらも、昔を懐かしむように、十歳頃のスカサハの背丈を手でつくった。
「知っています。だから、ラクチェに伝えておいてください。俺、実は気にしていたんです」
「自分で言えばいいだろう」
「あいつには口で敵う気がしませんよ」
「あの母譲りの気の強さは困りものだな」
 シャナンの笑い声に、スカサハも続いた。
 笑い声がおさまった頃、スカサハはふと思いついたことを訊ねた。
「シャナン様からいただいた服、今着てもよいでしょうか?」
「今か。少し緊張するな」
「大丈夫です。まだ、あなたの方が大きいですよ」
 シャナンがしまってくれた服の中から、一番上のものに手を伸ばす。シャナンは柔らかな表情で見守ってくれていた。
 昔と同じ高揚感。丁寧に襟元を重ねて、腰紐を結んだ。さらに、小さな金具で作られたボタンをとめる。服はスカサハにぴったりの大きさだった。
 シャナンの匂いを感じながら背筋を伸ばす。
「シャナン様、どうですか?」
「ああ、よく似合っているよ」

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