04 これから、始まる

 それから、五日が経過した。スカサハは学校が終わるとすぐに約束の場所へむかった。シャナンから呼び出された先は、かつて告白練習を目撃された木の下だ。
 前日の夜に連絡をもらってから、スカサハは落ち着かない時間を過ごした。夜は眠れず、授業にも集中できなかった。大切な返事をもらうであろう日に体操服を身に纏っているのもそのためだ。注意力散漫となっていた影響で、美術の授業でバケツにつまづいた。制服がびしょびしょに濡れてしまい、仕方なく着替えるしかなかったのだ。
「制服はどうしたんだ」
 不思議そうに首をかしげたシャナンに、スカサハは事情を説明した。その後も、妙な緊張感を含みながら雑談が続いた。ラクチェは元気にしているのか、部活動の様子はどうだ。シャナンはいつも以上にスカサハの近況を聞きたがった。やがて、公園にたどり着いたときにはまだ青かった空が錦色に色づいた。そよ風に吹かれた葉がこずえを鳴らす。
 雑談が落ち着いたタイミングで、シャナンは唐突に切り出した。
「あれから、私なりに考えてみた」
 その一言で、ずっと孕んでいた緊張が大きく膨らんだ。これからシャナンが話そうとする内容を、たった一瞬で理解した。膨らんだ緊張に呼応するように、スカサハは格好つかない服装で背筋を伸ばした。シャナンの面持ちも、雑談をしていた時と比べてかたさが増していた。
「スカサハ、すまない。お前と付き合うことはできない。私はお前のことを大切に思っている。だが、それが恋愛感情なのかと問われると、自信がないんだ」
 傷つけまいと選ばれたであろう言葉に、スカサハは肩を落とした。それでも、予想以上に心境は穏やかだった。付き合うことはできなくても、シャナンが今までの関係までもを拒むことはないだろうという、妙な確信があった。
「そう、ですよね」
 穏やかな心持ちに反して、声は沈んでいた。今にも想いが溢れて泣きだしそうな声に、困惑を隠せなかった。心境と態度が噛み合わないというのは、このような状態なのだろうと、スカサハは思う。声に引きずられるように、視界が霞んだ。
「す、すみません。俺、なんか今、変みたいです」
 スカサハは、慌てて作り笑いを浮かべた。シャナンの手が戸惑いがちに伸びて、すぐに体の横へ戻された。
「スカサハ……。私は臆病者だ。曖昧な感情で交際を受け入れて、お前を傷つけることが怖いんだ。だが、お前が私から離れていくのをひどく寂しく思ってもいる」
 シャナンは痛々しそうに瞳を伏せた。その姿に、諦めかけていた心が動いた。シャナンが、臆病になって告白をできなかったスカサハ自身の姿と重なって見えていた。
 怒りと悲しみと希望を一緒くたにした情動に任せて、スカサハは捲し立てた。
「どうしてあなたがそんな顔をするんですか。シャナン様は、ずるいです。俺は、曖昧な感情だってかまいません。シャナン様。あなたが俺と一緒にいたいと思ってくれているなら、俺はそれでいいんです。それなのに、どうして――。だから、えっと、その」
 言葉にできない思いを伝えようと、袖を掴んでシャナンの体を引き寄せた。顔を近づけて、口が被さる直前で止まる。袖を解放して離れると、シャナンの耳が赤く色づいていた。スカサハの心臓も、大きな音を立てている。
「これから確かめていきましょう。俺が卒業するときに、もう一度、返事を聞かせてください」
「う、うむ……」
 スカサハの強引な態度に押されるまま、シャナンはうなずいた。


◇◆◇


 三寒四温。二日前まで温かかった空気が、見る影もなく冷え込んでいた。過ぎ去ったはずの冬を思わせる寒さに、見かける人々も分厚いコートをしっかりと着込んでいる。
「春も近づいてますね」
 スカサハはゆったりとした歩調で歩きながら、シャナンの手を握る力を強めた。
「そうだな。梅の蕾も随分と膨らんだようだ」
 商店街に差し掛かると、シャナンに引かれて八百屋へむかった。繋いでいた手がやんわりと離れる。その手で、シャナンはレタスを手に取った。真剣なまなざしで数個を見比べて、形が最も扁平だったものを購入した。
 まだ寒さが残っているからだろうか。クリスマスから放置しているであろうイルミネーションが、ところどころ街中をを彩っている。
「そういえば、どうして今日は外で待ち合わせなんですか?」
 商店街を抜けると、スカサハは約束をした時から抱いていた疑問を投げかけた。シャナンの家で会う時は、直接訪ねることが常だった。それが、どうしたことか今日はシャナンから外で待ち合わせようと連絡があった。
「制服姿のお前と夕暮れを歩きたかった、と言ったら笑うか?」
 シャナンの口調は軽かった。時々覗かせる少年の無邪気さを彷彿させる声だ。
「からかってますか?」
 スカサハは夕日に照らされたシャナンを見た。
「どうだろうな」
 シャナンは、前に好きなやつでもできたのか、と聞いてきた時と同じ顔をしていた。真面目過ぎず、かといって角にからかっている調子もない表情だ。異なっているのは、夕焼けの赤が滑らかな肌に反射して、耳が赤く色づいて見えることだけだった。
 シャナンは、スカサハがいるのと反対の手でレタスの入った袋を提げていた。八百屋を出たときから、手は離れたままだ。制服姿の学生が、二人の脇を自転車で過ぎていった。並び歩く手と手がぶつかる。スカサハは、慌ててその手を引っ込めようとした。しかし、シャナンがそれを許さなかった。
「スカサハ。お前は、私に鈍い鈍いと言っておいて、自分では気がつかないのだな」
 澄んだ瞳と、視線が交わった。わずかに紫がかった黒い瞳の奥に、驚いた顔が映っている。
「ただ今は、お前の卒業が待ち遠しいよ」
 冬も終わりが近づいている。冷たい風が心地よく吹き抜けた。
 二人は手と手を絡ませて、家へと向かった。

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