紅の剣士

 グルニアを苦しめた司令官ラングを討った一行は、ウェンデル司祭の求めを受けてラーマン神殿へと向かった。
 ユミナとユベロはすっかりオグマに懐き、移動のたびに近寄ってきた。
「オグマさんが来る前。もっと落ち着いていたときには、ロレンスもぼくたちをおんぶして手を引いてくれたんだ。だからオグマさんが初めてぼくをおんぶしてくれたとき、実は嬉しかった」
 ラングを討つ少し前、ユベロはあどけない笑顔を浮かべた。それ以来、オグマはロレンスと同じようにしなければいけない気がしていた。
 双子が寄ってくるたび、片方を背負いもう一方の手を引く。そうしながら、ラーマン神殿への道を進んだ。
 目的地の折り返し地点に到達した頃、ユミナを背負っている時にサムトーが寄ってきた。サムトーは時々寄ってきては、自然な流れで歩いている方を背負ってくれた。
「オグマさん、相変わらずですね」
「お前にまで手伝わせて悪いな」
「いやだなあ、オグマさんへの恩返しの一環なんですから、もっと堂々としてください!」
 サムトーはオグマが申し訳なさを感じるたび、恩返しと口にした。恩返しだと言われれば、何も言い返さないことを知っているのだ。
 オグマは言い返さない代わりにため息をついた。その声と重なって、サムトーの背にいるユベロが唇を尖らせた。
「サムトーはぼくたちのこと、どうでもいいの?」
 双子はオグマに駆け寄ってくるが、サムトーとの方が打ち解けているようだった。オグマは未だに敬語を使われる。
「お、そんなことは言ってないぞ。でも、あまり拗ねてたら手が滑っちまうかもしれないなー」
「そんなことしたら、オグマさんが黙ってないわよ!」
 ユミナも混ざり、三人の平穏な会話が続く。オグマが黙り込んで聞いていると、思い出した頃にサムトーから話題を振られた。
 会話の熱は次第に引いていき、やがてすっかり静かになった。
「チビたち寝ちゃいましたね」
 風に掻き消されそうな小声だ。オグマも同じくらいの声量で話す。
「もう十四歳らしい。俺たちが闘技場から逃げた時のおまえとそう変わらない年齢だろう」
「うら若き日々の二歳差は大きいっすよ」
「そうか」
 湿った風がごうごうとした風音とともにサムトーの髪を靡かせた。光が透けて赤みがかった髪の先端は不揃いだ。
「ねえ、オグマさん」
 サムトーはゆっくりと瞬きをした。目を開けた時、そこには人を寄せ付けない静謐な空気があった。まるでナバールのような、他者への感情を全て捨てた静けさだ。
 無意識のうちにオグマは身構えていた。一度ナバールがこの気配を纏えば、戦が終わるまでおさまらない。
 流石に味方を斬るような愚か者ではないが、それでも意識せずにはいられなかった。剣士の直感が警告を発する、この男は危険だと。
 オグマの緊張が上限まで達した時、サムトーは纏う雰囲気を変えずに呟いた。
「……今宵の必殺剣はよく斬れる」
 途端に緊張の糸が緩んだ。たまらず吹き出し笑いをする。纏う空気に似合わない、安っぽい言葉とおぶっている子供の寝顔が珍妙な光景を生み出していた。
「ふっ、なんだそれは」
 しばらく笑っていると、サムトーの空気も、元の朗らかなものへと戻った。
「ナバールさんの真似っす。似てませんか?」
「似ているが惜しかったな。剣を握っている時の奴はあんなガキっぽいことは言わん」
「あれ、そうなんですか。じゃあ、本物のナバールさんがどんな人か、教えてくださいよ」
「今後も奴を真似するつもりか」
「俺が生き延びるために必要なんです」
 サムトーは子犬のような目でオグマを見上げていた。オグマは人からの頼みに弱い。渋々とナバールの姿を思い出す。
「奴の剣は静かで孤独だった。どこまでも己一人のために磨かれた剣だ。二刀流なことだけはお前と一緒だな」
 初めて出会った時から、ナバールは孤高という言葉がよく似合う剣を持っていた。なんの感慨もなく、ただ殺すためだけにある精緻な静けさ。思わずその剣に身を預けたくなる、麻薬のような魅力。
「それじゃあ人柄が全然伝わってきませんよ」
「人柄か」
 そう言われて初めて、オグマはナバールのことを全然知らないと気づいた。好き嫌いも。能面のような顔の奥で考えていることも。ノルダで交わした約束を果たすために向かうべき土地すらも。
(シーダ様は、奴を不器用だとおっしゃっていたな……)
 どこをどう見たらあの自由人が不器用になるのか、いくら考えてもわからない。
「少なくとも、見た目以外は全然お前と似ていなかったはずだ」
 サムトーとも、サジやマジやパーツとも違い、周囲を顧みない猫のような自由さがある。ナバールについてオグマが言葉にできることは、それが精々だった。
 
 
 
 ラーマン神殿が近づくにつれて、次第に盗賊たちの気配が強くなった。盗賊たちは何やら気が立っているらしく、戦いのひりついた空気を濃く滲ませている。さらに、北の橋にはアカネイア軍の兵たちも待ち構えていた。
「アカネイア軍に見つからないように、森を抜けてラーマン神殿へ向かおう」
 マルスの言葉に皆が頷いた。軍の利を生かしにくい森ばかりの道を、各々の力を頼りに進む。
 
 オグマは、ユミナとユベロを後方で待機するシスターに託し、単独で森に入った。シリウスに預けることも考えたが、彼は二人との接触を避けている様子だった。
 サムトーはオグマについて来ようとした。だが、オグマにはアリティア軍の新兵たちが気がかりだった。彼らは明らかにまだ実力が足りていない。近くで見守ってやってほしいと頼めば、サムトーはお任せくださいと離れていった。
 すぐそばに守るべきものがない戦場は気楽だ。
 シーダも今回は後方で待機している。
 オグマは出会う盗賊をその都度的確に倒し、奥へと進んだ。
「きゃー、ナバールさんかっこいい」
 しばらく進んだ時、森全体に漂う戦いの空気にはそぐわない、黄色い声が聞こえた。それも何やら気になる名前を呼んでいる。
 オグマは引き寄せられるように声の方向へ向かった。
 森の隙間の少し開けた空間で、盗賊たちが何かを囲っている。若々しい甲高さを持つ黄色い声は、その輪の端、幹の太い木のあたりから響いていた。
「おい、そこに誰かいるのか」
 呼びかけると、背中を向けていた盗賊たちが一斉に振り返った。そして、一部が剣を構えて襲いかかってきた。包囲が崩れたおかげで、オグマは囲まれていた人物の姿をはっきりと目撃した。二振りの紅い剣を持つ、長髪の剣士。若い娘がそばにいるからか、まとう空気は心なしか柔らかい。
「その娘は貴様の連れか」
 襲いかかってくる盗賊たちをあしらいながら尋ねた。
 久々の再会だというのにナバールは相変わらずの仏頂面だ。
「娘じゃなくて、フィーナよ。ナバールさんは盗賊を裏切ってわたしを守ってくれてるの」
「また盗賊の用心棒か」
 目の前の盗賊を斬り捨てながらオグマは二人へ近づいた。
「そんなところだ。だが、暫くはもうしない」
「改心したか」
「必要がなくなっただけだ」
 オグマが近づいたからか、ナバールはフィーナを預けて盗賊を追った。
「どういう意味だ」
 そしてナバールは最後の一人、背中を向けて逃げ出した盗賊まで少しの情けも見せずに斬った。
「お前は知らなくていい」
 ナバールの声に触れてはいけない壁を感じた。オグマはそれ以上何も言わず先を急いだ。ナバールは反対に、フィーナを連れて森を抜け出すようだった。
 
 
 
 フィーナをアリティア軍に送り届けたナバールは、なりゆきで再びアリティアに雇われた。
 フィーナに懇願されたからなのか、マルス王子の理想に負けたのか、その理由はわからない。
 ナバールが合流してから、オグマはその姿をよく目で追っていた。
 前の戦争の時シーダに言われたことを果たせていない気がしていたのだ。
(ナバールを気にかけるよう言われていたのに、俺はちっとも奴を知ろうとしていなかった)
 思い返せば、ナバールはあれでも心を開いてくれていた。オグマが近づいても逃げず、意味のない戯言も、意味がある約束も交わした。迷いに気づかれ背を押されたこともあった。
 それにもかかわらず、人柄を訊ねられて剣の話しかできないというのはあまりにも情けない。
 
「何か用か」
 ナバールは視線に敏感だ。オグマが姿を追っていると、いつの間にかふらりと近づいて来ることが多かった。姿をくらませることもあった。
 アリティア城の端の木陰で休む姿を眺めていた時も、ナバールは視線に気づき声をかけにきた。
 それまで、用を問われるたびにオグマは何かと理由をこじつけていた。だが、その時は一つも話題がなかった。かつてないほど熾烈な戦の直後であったが、ナバールは怪我一つしていない。各地の難敵に対処するため戦う時もしばらくは行動を別にしていた。この後差し迫った作戦があるわけでもない。
 懸命に理由を考えていると、突然に前の戦いでアリティア城を奪還した時の記憶が蘇ってきた。賛辞の嵐に疲れて逃げ出したあと、丁度さっきまでナバールが休んでいた場所で酒を酌み交わした。
 月明かりにしっとりと艶めいていた黒髪は、盛りを過ぎた太陽の下でも変わらず美しい。髪の先端まで整っている長髪は優しい風にさらさらと揺れる。
「綺麗な髪だな」
 思わず声にすると、ナバールはその真意を探るようにじっ、と見上げてきた。サムトーのような子犬らしさはどこにもない、愛嬌のカケラもない目だ。
 それでも、見つめられていると気恥ずかしさがあった。オグマは自然さを装って草原の上に胡座をかいた。ナバールもその横に膝を曲げて座る。
「これは、ただの憂さ晴らしだ」
 ナバールは人差し指に髪を巻き付けながら目を伏せた。長いまつ毛が光に透けて、剣を持っている時とは別の意味で人間らしくない姿だと思う。精巧な絵画を目にしているような、不思議な感覚だ。
 髪を憂さ晴らしに使う理由も不明だが、それ以上にナバールが晴らし続けている憂さの正体が気になった。
(これは聞いても良いことなのだろうか)
 ナバールは自由で気難しい。少し扱いを間違えれば、今の時間もすぐに終わってしまう。
 オグマは、かつて酒を酌み交わした場所でなら、再会してから聞けずにいた古巣の在処を聞ける気がしていた。
 このまま逃げられるのは惜しいと、刹那的に抱いた好奇心を胸にしまう。
「貴様にもそういう感情があるのだな」
「意外か。オレも最近気づいた」
「なんだそれは」
 オグマが小さく笑ったきり、会話が途切れる。気まずさはない。
 オグマは本題を切り出すか悩んで、ナバールの横顔を窺った。口角がごく僅かに上がっているようだ。表情も心なしか柔らかい。
 きっと機嫌が良いのだろう。
 思い切って、ナバールの内側に踏み込む決意を固めた。
 さり気ない質問だと主張すべく、オグマは意識的に口を大きく開けて、あくびするフリをした。
「ところで、貴様の古巣はどこにあるんだ」
 ナバールはただ純粋に驚いた様子だった。
 真意を探るようにオグマを見て、裏表のない目をぱちくりと瞬かせている。五秒、十秒と時が経つ。目を合わせたまま、ナバールの口は何度か言葉を紡ごうと開かれ、そのたびに結ばれた。
 先にオグマの方が照れ臭くなって顔を背けた。熱を持った気がする頬を人差し指でかく。同じ指で間もなく枯れるだろう草をつついた。
「いや、貴様との約束を果たそうにも場所を知らんと思ってな。もっとも、貴様が覚えていればの話だが」
「覚えていたのか。律儀なやつだ」
「それで、どこなんだ」
「マケドニアから船で数日はかかる、磯くさい大陸だ」
 意外にも明快な返事だった。もっと誤魔化されるものだと思っていた。
 オグマは立ち上がり振り返った。いつも通りの無表情が見上げている。
「ならば互いの準備が終わった後、マケドニアで落ちあおう」
「姫の結婚までは待てということだな。仕方ない、オレの気が変わるまでは待ってやる。……あまり遅れるなよ」
 ナバールは立ち上がり、城とは反対へ歩いて行った。すらりと長い足は歩幅も大きく、背中は瞬く間に小さくなる。
 次の戦いに向かう前には戻ってくるのだろうと、オグマは尻についた土を払った。ナバールは今まで抱いてきた印象よりも遥かに律儀なやつらしい。
 オグマは、ナバールの後ろ姿がわからなくなるまで見送ってから、城へ帰る道を選んだ。

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