第三章 それでも俺は生きていく

喜びと悲しみと

 大陸中を巻き込んだ戦争の熱りが冷めきる前に、新たな戦争の火蓋が静かに切られようとしていた。
 発端は旧グルニア王国。アカネイアの占領下にあるこの地で反乱が起こったことによる。反乱の首謀者は、オグマの仕えるタリス王国とも交流の厚いロレンス将軍だ。
 オグマはタリス国王の命を受け、反乱に手を貸していた。反乱と言っても大義はロレンスにある。グルニアの統括を任されたラングは、不当な搾取を重ねて民も土地も弱らせていた。ロレンスは弱っていく民を見捨てられず立ち上がったのだ。
 だが、大国アカネイアに対して少ない手勢で抗うことは無謀だった。オグマ一人が手を貸したところで状況が改善する道理もない。
 四面楚歌。最後の砦へと追い詰められたロレンスは、ここまで共に連れてきた若きグルニアの王子と王女をオグマに託そうとした。オグマもそれを承知した。
 しかし、いざ離れようとしたところで王女ユミナが拒んだ。争いで傷ついたロレンスの体にしがみつき、ユミナは叫んだ。
「わたしは行かないわ! 逃げるのならロレンスも一緒よ」
 ユミナはロレンスの怪我を気遣いながらも、決して離れないという強い意志を見せた。その姿に、オグマはまだ幼かったシーダの姿を重ね合わせた。
 まるで自分自身が傷ついたかのように、傷だらけのオグマを庇い救ってくれた勇敢な少女。オグマが一生を懸けても返しきれない恩を受けた存在と、今のユミナの姿はそっくりだった。
 ロレンスは既に立っているのがやっとの様子であり、帝国の部隊をかいくぐり逃げ延びるのはもはや不可能だ。そして、オグマには少女を無理に引き剥がすことも、少女が助けたがったロレンスを見捨てることもできない。
 許されるならば口を挟みたくなかったが、結論を出してもらうしかなかった。
「どうするのだ?」
 ロレンスは心底困り果てた様子で、されど奥底にかすかな喜びを滲ませた。
「やむをえまい。オグマ殿、貴公一人で行ってくれ」
 ロレンスの目は、命を賭して双子を守る覚悟で満ちていた。傷だらけの体のどこから湧いてきたのか、俄然とした勇ましさを感じる。
(ならば、俺も最後まで付き合おう)
 オグマの心も決まった。一番傷ついている将軍が諦めていないというのに、どうしてオグマ一人が逃げられようか。心の底からロレンスを守りたがる娘がいるのに一人逃げてしまえば、タリスに帰る顔もなくなってしまう。
「俺はラングを探し出して奴を殺る。うまくいけば、この辺りにいる敵も引き上げるかもしれぬからな」
 ロレンスは何か言いたそうな顔をしていたが、オグマの宿した決意を受け止めて口を結んだ。目元の深い皺に柔らかな感情が宿る。
「ロレンス将軍。それまでは何とか持ち堪えてくれ」
 オグマの願いにロレンスは頷いた。少し前まで泣きべそをかいていたユベロも、いつのまにか将軍に抱きついている。
(俺があの時カミュ将軍を川に落とさなければ、あるいは違う未来があったのかも知れん……)
 メリクルソードを振りかざし、形だけの英雄として戦った過去は否定しない。それでも、三人の姿を前にすれば己の剣がもたらしたかも知れない現実を考えずにはいられなかった。
 
 
 
 オグマは一人で城を脱し、ラングを探した。培ってきた戦の勘は、敵兵の少ない場所へと的確にオグマを導く。
 道中の民家や倒した敵兵に、片っ端からラングの居所を聞いて回った。だが、中々見つけられない。
(時は一刻を争うというのに……)
 たまらず歯軋りをした。包囲の輪は着実に狭まっている。
 オグマは急く気持ちを剣に消化して、敵勢力を削りつづけた。
 何かあれば砦に戻れるよう、敵の包囲網を意識しながら移動する。敵と言っても、多くは生活のため渋々戦っている兵だ。知っていたところで戦いにくくなるだけの事実が何度か脳裏を掠めた。
 そうこうしている間に、マルスが反乱鎮圧のため軍を引き連れてきたという情報が耳に入った。オグマは安堵の息を吐いた。
 マルス王子ならばロレンス将軍を悪いようにはしないだろう。むしろ、アカネイア帝国との板挟みの中でロレンスを救おうと最善を尽くすはずだ。
 オグマはそう考え、ラング捜索の範囲を広げた。ラングは非道な男だが馬鹿ではないと聞く。実際、ロレンスに手を貸している間にもラングの小賢しさを何度か感じた。
 そういう男ならば、今後の反乱の目は容赦なく潰すだろう。一番危険な相手であるロレンスをアリティア軍に任せ、敗走する兵を背中から叩きに行っている可能性も高かった。
 
 ようやくラングの足取りを掴んだのは、砦を離れて三日が経った晩のことだった。情報を求めて古びた民家を訪ねると、恰幅のいいおばあさんが悲しげに目を伏せた。
「あんたもグルニア人みたいだから言うけどね、ロレンス将軍は自害なさったんだってさ。最後まで王子王女を匿って……それなのに、ねえ……」
 ロレンスが命を賭して守ろうとした王子王女は、ランク将軍が処刑のためにオルベルン城へ連れ去っているのだという。
「そうか……」
 マルス王子でも救えなかったのか。
 呟きながら、オグマは矢も盾もたまらなくなっていた。
 せめてロレンスの最後の願いを果たし、恨みを晴らしてやらねばならぬ。それが、手を貸した者の責務だ。
 辺りは既に暗闇に包まれていた。
 オグマはおばあさんから松明を一本譲り受け、夜道を進んだ。
 
 ラングの部下からユミナとユベロを救出した時、ユミナの手には萎れた花が一輪握りしめられていた。清楚な白い小花だ。
「これは、ロレンスにあげるの」
 ユミナは萎れた花を寂しげに見つめながら言った。切なく伏せられた目から、ユミナの悲しみがひしひしと伝わってくる。
 ユベロは赤く目を腫らしたまま何も言わなかった。
 オグマはユベロを背負い、ユミナの腕を引いた。勇敢な将軍の最後の願いは何としても叶えなければならない。責務を果たすためにも、オグマが招いたかもしれない悲劇を慰めるためにも。
 
 三人は、悪名高いマケドニア・バイキングの支配地へと足を踏み入れた。
 できることなら子供を連れて来たくはない場所だ。だが、ウェンデル司祭の元へ二人を送り届けるには、危険な道を通るしかなかった。
 ユミナの握っている花はもはや萎れ果てて形を保っていない。ユベロは土地の持つ殺伐とした空気に参ったのか泣きごとを言い始めた。
「オグマさん、ぼく、こわいよ……」
 ユベロは慰めを求めていたが、オグマには怖がる子供にかけるべき言葉がわからなかった。オグマがユベロの歳の頃には、生死をかけた戦いの日々を過ごしていた。
(俺が守ると言えばいいのだろうか。だが、この双子は守ると言ってくれた存在を失ったばかりだ……)
 言葉を探している間に、ユミナがユベロを叱りつけた。
「ユベロ、しっかりしてよ」
 強気な言葉に反してユミナの足はガクガクと震えている。精一杯強がっているのだ。
「わたし達は、もう二人きりなのよ」
 ユミナはしゃがみ、地面にそっと花を供えた。ロレンスを弔うように、しとやかに目を瞑っている。
「ロレンスはもう地面に眠ってしまったの。あなたがしっかりしてくれなきゃ、わたしだって……」
 ユミナの声が震え始める。気丈に振る舞う少女は、静かに涙を溢して土に濃い染みをつくった。
「ごめんユミナ。ぼくもがんばるから。だから、もう泣かないでよ」
 ユベロは泣き尽くすユミナの背中をさすった。不安でオドオドとしていた顔に勇敢の気が宿っている。
 オグマには二人が少し眩しかった。それから何もできなかった自分自身が情けなくなり、次いでシーダのことを思い出した。
 シーダがこの二人と同じ歳の頃は、何かある度にモスティン王の不満を零していた。不満と言っても、そのほとんどはお転婆な姫を心配する言葉が過保護に聞こえたという愚痴だった。
 世で聞く反抗期よりも、シーダの反抗はささやかで可愛らしいものだった。心優しいシーダは愚痴をこぼすことにすら罪悪感を抱くらしく、最後にはいつも同じ言葉を口にした。
「ごめんなさい、またあなたに甘えてしまったわ。わたしだって、お父様が心配してくださっていることはわかっているのよ」
 思い出してから、どうして突然懐かしい記憶を呼び起こしてしまったのか考えた。
(ああ、同じだったのか)
 含まれた言葉の重みこそ異なるが、簡単には口にできない負の感情を和らげる相手としてオグマはシーダから選ばれていた。それまで強がっていたユミナがユベロに不安を伝えたように、シーダはオグマを選んでいたのだと、今更になって理解する。
 同時に胸の奥をチクチクと刺してくる罪悪感に苛まれた。
(シーダ様はいつだってこんな俺のことを家族同然に扱ってくださった。だが、俺はシーダ様を……)
 その先の感情は、純粋な愛を注いでくれている主君への裏切りだ。
 オグマは手放せない感情を見つめずに済むように、慰め合う二人を見守った。
 
 
 
 もう二十分は剣を振り続けているだろう。オグマは、ユミナとユベロを背に隠して守りながら海賊達を倒していた。
 橋を渡ろうとしたところでマケドニア・バイキングの海賊達に見つかってしまったのだ。
 相手の血飛沫を浴びながら、子供には見せたくない光景だと思う。軽く視線を向けただけで、二人が震え青ざめていることが理解できた。当然の反応だ。数えきれないほど多くを殺し生きてきたオグマでさえ、人が死ぬ瞬間には堪えるものがある。
 それでも双子は勇敢だった。震えながらも、ユベロは時折ファイアーで支援をし、ユミナもオグマの疲れを取り除こうと治癒魔法をかけてくれた。
 オグマは二人の意思を尊重し、さがれと言いたい気持ちを抑えて戦った。
 海賊達は際限なく襲いかかってくる。さらに、海賊らしくない騎兵の影もあった。姿だけで相当な手練であることが伝わってくる。
 騎兵は迷いない足取りで近づいてきた。馬の蹄の音が戦地の熱狂に混ざり耳に響く。
 ナバールのような用心棒だろうか。オグマは大剣を注意深く構えながら尋ねた。
「貴様、何者だ。海賊どもの手下か」
 男は橋の中心で馬をとめた。表情はよくわからない。男の顔の半分は白い仮面で覆われている。唯一剥き出しの唇も、色が薄いこと以外の特徴がなかった。
 かろうじて伝わってくるのは、男がグルニアの血をひいているだろうことだ。真ん中に線を引いたように左右に割れている髪は、グルニア特有の少しくすんだブロンド色をしている。グルニア人とよく間違えられるオグマと同じ色だ。
「わたしはシリウス。ただの旅の者だ」
 シリウスは名乗りながら、後ろから襲ってきた海賊を一瞥もせずに槍で貫いた。その槍捌きにオグマは既視感を覚えた。だが、どこで見たものだったかまでは思い出せない。
 一つはっきりしたことは、シリウスが敵ではないということだ。その証拠に、槍の矛先は後ろから襲ってくる海賊のみに向けられている。
「すまぬ、少し気が昂っていた」
 オグマは海賊の仲間だと疑ったことを潔く詫びた。
 シリウスは詫びを興味なさげに聞き流し、背後に隠れていた子供たちのことを尋ねてきた。
「……その子供達は」
「わけあって俺が預かっている。貴様、何か知っているのか」
「いや、何も。だが……」
 その言葉の迷いに、オグマの既視感がとある人物へと結びついた。
 一年前、グルニアで戦った黒騎士カミュ。アカネイアの王女ニーナを愛しながらも、祖国のため戦い命を散らしたはずの男だ。
「子供連れでは逃げきれまい。南の村にアリティア軍が来ているらしい。ここは私に任せて逃げろ」
 一度疑いを持てば、馬の扱い方も、槍捌きも、声音も全てカミュと同じに感じた。けれど、断定するにはあと一歩の確信が欲しかった。オグマは思い切って聞くことにした。
「かたじけない。だが、なぜ見も知らぬ我らを」
「子供達を救いたい」
 その言葉の重さは、ただ見知らぬ子を助けたがる善意に基くものではなかった。男に残された唯一の罪滅ぼしだとでも言いたげな、人生の道を懸けた重さがあった。
(やはり、カミュ将軍なのだな。ならば俺は……)
 オグマは背後に控える子供に一瞬だけ視線をやった。子供達も勘づくところがあったのか、訴えかけるようにオグマを見ていた。
「シリウス、とか言ったな。俺はグルニアの支配者ラング司令官を殺るつもりだ。ロレンスという男の恨みを晴らすためにな」
 ロレンスという名に反応して、シリウスの顔が迷いなくオグマへ向けられた。仮面の奥に、諦観と覚悟の入り混じったカミュの顔が浮かんで見える。
 オグマはこの悲劇を共に終わらせたいと、望みを抱いた。
 この男は全てを失っている。愛する者との時間も忠誠を誓った祖国も、培ってきた地位すらも。その男が戻ってきたならば、それは捨て去れなかった義を果たすためであるはずだ。
「貴様も力を貸せ。貴様とてそれは望むことだろう」
「生きていればな」
 橋の向こうには、仲間を呼び集めてきた海賊達が密集しつつあった。
 薄い唇が不敵な弧を描く。シリウスは翻って大軍へと駆け出した。同時にオグマももう一つの橋を目指して走った。子供達の手を引きながら南の村へ向かう。
 ユミナとユベロは一言も喋らずについてきた。だが、その顔はよく知る人物を再び失うかもしれない恐怖で濡れていた。
 オグマは、ロレンスが散らし、シリウスが懸けた命の分まで託された双子を守ると改めて決意した。

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