港町ワーレン

 アカネイアの王女ニーナからファイアーエムブレムを授かったマルス率いる軍は、その勢力を拡大しながら王都パレス解放に向けて進軍を続けていた。
 ナバールが軍に加わってから、困難な局面はオグマとナバールの二人に任せることが増えた。
(マルス様がわざと二人を近づけているだけかもしれないけれど……)
 戦場で並び立つ二人の剣士は、味方でも寒気がするほど圧倒的な風格があった。伝令役として戦地を飛び回るシーダも、未だに二人に声をかけることには慣れない。
 味方ですら迂闊に近づいたら斬られそうなほど、戦場で二人が見せる強さは圧倒的だった。
 その一方で危うさもあった。オグマもナバールも、自分の身が勘定に入っていないかのように、敵陣へと飛び込んでいく。シーダはその光景を目の当たりにする度、近づき難い感情とは矛盾した衝動を抱いた。
 今すぐあの中心に飛び込んで、二人を助けたい。
 一度、衝動のまま後方から狙わらたオグマを庇おうと戦場へ飛び込んだことがあった。しかし、シーダの行動はかえって危険を増やしただけだった。オグマは相手の気配を察していたのだ。
 振り向きざまに振り下ろされた大剣がエルカイトの羽を掠めた瞬間、オグマは今にも死にそうな顔をした。そこだけ時が止まってしまったように、目を見開きしばらく動かなかった。
 その間に襲いかかってきた敵をナバールが全て受け持ってくれなければ、恐らく死んでいた。
「俺はあなたを守るためこの軍にいるのです」
 戦況が落ち着いた時、オグマは血を失ったように青ざめていた。自分一人のためにオグマがここまで弱るのかと、むしろシーダが驚かされるほど声も掠れていた。
「オグマ、ごめんなさい。もう二度としないわ」
 震えるオグマの手をあやすように握ると、オグマは小さな声でそうしてください、とだけ言った。
 
 ひとたび戦場を離れると、オグマとナバールは戦場での距離を忘れたように離れて過ごした。
 ナバールは誰とも慣れ合おうとせず、いつも一人で過ごしていた。たまにマルスのところまで話しかけにくるが、それも雇用主と雇われ人の会話だ。残りの時間はどこにも姿を見せないか、あるいは部下に囲まれて過ごすオグマをじっと見ていた。
 ナバールがオグマに向けている感情を、シーダは正確には見抜けなかった。ナバールが向けている視線は、その時々によって憎悪にも、嫉妬にも、好意にも見えた。
 対するオグマの反応はわかりやすかった。露骨にナバールを避けていた。きっと、その存在を快く思っていないのだろう。面倒見のいいオグマのことだ。そうでもなれば、戦場の外でもナバールを気にかけるはずだ。背中を預け合う相手なら尚更だった。
 
 兵士たちの休息のために港町ワーレンへ向かう途中、シーダはオグマに酷な頼みをした。
「ナバールのことを気にかけて欲しいの」
 こう言えばオグマが断らないことをシーダは知っている。実際に、オグマは一瞬寄せた眉をすぐに戻して、平静と変わらない顔でシーダの願いを受け入れた。
 オグマの律儀さを利用するようで少し心が痛んだが、サムスーフ山で見たオグマの満ち足りた顔をシーダは忘れられなかった。ナバールはきっとオグマを救ってくれる。その直感は、オグマがナバールに向ける反応を知ってからも消えなかった。
 シーダの頼み通りに、オグマはナバールを気にかけるようになった。最初のうちは、話しかけられるたび幻を見るかのように切れ長の目を見開いていたナバールも、やがて慣れて表情を変えなくなった。
 ナバールに話しかける前、オグマはいつもため息をついていた。憂鬱というよりも覚悟を決めるような、太く短いため息だ。次第に慣れたナバールに対し、オグマはいつまでもため息を続けていた。
 
 
 
 港町ワーレンにたどり着くと、それまで戦地の緊張感を持ち続けていた兵達の多くが戦を忘れて肩の力を抜いた。シーダもマルスを誘って買い物に出かけた。
 ワーレンの町に漂う磯の香りは、シーダにタリスでの日々を思い出させた。
「シーダ、故郷が恋しいかい?」
 尋ねてきたマルスの方が寂しそうで、シーダはわざと明るく振る舞った。
「少しだけ。でも、わたしはマルス様のお側で過ごせるならその方がいいんです」
 本心からの言葉だった。戦いは今だって怖いが、それ以上に何もせず遠くで大切な人が傷つく方が耐えられなかった。
 シーダは殺すためではなく助けるために戦っている。戦場に出る時には、いつも母の言葉が頭にあった。苦しんでいる人がいたら助けてあげなさい。
(マルス様は、多くの人を助けています。だから、そんな寂しそうな顔をなさらないで……)
 故郷のことを思い出しているのだろう。感傷に浸るマルスにシーダは笑いかけた。悩みながらも手を握り、賑やかな町を先導する。活気ある空気は、ただそこにいるだけで気分を晴れさせてくれると信じていた。
「ありがとう、シーダ」
 マルスはシーダの横に立ち、歩幅を合わせて歩いてくれた。
 
 買い物から戻ると、オグマの革鎧が新しいものに変わっていた。
「俺たちが買ったんです」
「隊長への恩返しです」
 オグマの部下達は誇らしげだった。シーダもたまらず口元を綻ばせる。
「オグマ、よかったわね」
「俺には勿体無いくらい、良い部下たちです」
「何言ってるんですか。隊長がいなければ今の俺はいねえんだ」
 バーツの言葉に、オグマは居心地悪そうに目線をさげた。
 オグマは昔と変わらず心の奥深くに壁をつくっている。簡単に壁が壊れるものではないと理解していても、目の当たりにすると少し寂しい。
 気持ちを表現すべきか悩んでいると、遠くから鮮やかな金髪の男と、赤毛の青年が駆けてきた。
「すみません、マルス王子はいらっしゃいますか?」
 男たちの腰には剣があった。オグマもそのことに気付いたらしい。隣からぴりぴりとした警戒の気配が伝わってきた。
「誰だ」
「わたし達は、ワーレンの町を守る傭兵です。マルス王子に危険をお伝えしに参りました」
 金髪の男が両手を上げると、赤毛の青年もそれに倣った。敵意はないようだ。
 シーダは緊張を解いてマルスの元へ案内しようとしたが、それをオグマが制した。
「奴に任せましょう」
 オグマの視線の先にはナバールがいる。シーダはその意図がわからず首を傾げた。
「どうして?」
「強いやつが王子のそばにいれば、それだけで皆も安心できるでしょう。マルス王子は希望ですから」
 それならオグマが行っても変わらないと思ったが、言葉にする前にエルカイトの羽が傷ついた時のことを思い出した。
(オグマはわたしを心配して残ってくれたのね)
 ナバールは特に指示を受けるでもなく王子のいる方角へ走っていった。
 
 兵の士気は低かった。しばらくは羽を伸ばせると思っていたところで敵に囲まれたと知れば当然だろう。
 タリスの時から苦楽を共にしてきた兵達や、オレルアン王弟ハーディン直下の騎士達でさえも、一部は疲弊した様子を見せていた。
 それでも、マルスが今は逃げるか死ぬかだと説けば、ほとんどの者が瞳に闘志を取り戻した。ニーナ王女の後ろ盾を得たとはいえ、解放軍の戦力はドルーア帝国に幾分も劣る。集っているのは、その中で味方することを決意した憂国の勇士たちばかりだ。
 皆に言葉を投げかけるマルスのそばにはナバールが存在感薄く立っていた。整った容貌をした長身の男が背景と溶け込む姿を見るたび、シーダは不思議な気持ちになる。それはナバールの生まれた環境に由来しているのだろうか。あるいは、長い生活の中で身につけた術なのだろうか。
 考えている間に進軍が始まった。シーダはいつものように上空から戦況を見渡す役目を請けおった。
 ラディとシーザと名乗る傭兵たちのおかげで敵部隊の準備が整う前に動き出せた。おかげで敵戦力はかなり限られていた。皆、細かな負傷をしながらも誰一人欠けることなく目的の城へと進んでいる。これならば、城を落として籠城する間に兵の休息と立て直しをする計画もうまくいきそうだ。
 そう思った矢先に、騎兵の増援が現れた。シーダは、部隊が挟まれる前に伝達へ向かった。
 騎兵の増援は殿を務めていたドーガと、先頭部隊から引き返してきたオレルアンの騎士達が増援を請負った。しかし、今度は先陣の状況が悪くなる。横からアーマーナイトや弓兵が次々と増援に駆けつけていた。
 状況を見兼ねたオグマとナバールは皆を先に行かせ、二人で敵の増援を抑え込んだ。幸い山に囲まれた地形のため、山間の細い道を塞げば挟み撃ちの心配もほとんどない。弓兵の攻撃だけがネックだったが、遠目で見る限り敵アーマーナイトの鈍い動きを利用してうまく避けているようだ。
 それでも、シーダは表現し難い感情を抱えていた。二人が自ら危険を冒しにいくことが寂しかった。きっと、二人の行為が皆を守るための前向きなものであれば、もっと簡単に諦めがついた。けれど、二人からは皆を守るという名目で罪滅ぼしをしているような、そんな、後ろ暗い気持ちが見え隠れしていた。だからやりきれない。
(どうか、無事でいてね)
 援護しようにもシーダでは足手纏いにしかならない。シーダはせめて早く援軍が駆けつけられるようにと先陣を手伝った。
 
 城を落として引き返した時には、全てが片付いた後だった。オグマのぴかぴかだった革鎧には、決して落ちないだろう赤黒い血がこびりついている。返り血を浴びて血濡れた二人の姿は、生臭いにおいと共に戦乱の熱狂を残していた。
 それだけではない。オグマは怒っていた。喧嘩の仕方も知らない子供のように、ナバールから距離をとり、眉間に皺を寄せ、拳を硬く握りしめている。返り血で分かりづらかったが、よく見ると新しい鎧の左上から右下へ流れるような剣筋の痕があった。
 シーダはその傷がナバールによるものだと思った。どう見ても槍による傷ではなく、剣筋の跡からして使われたのは左手だ。なにより、オグマが並大抵の兵に後れをとるはずがなかった。
「ナバール、どうして?」
 シーダが訊ねると、放心していたナバールは思い出した様子で剣を鞘にしまった。質問に答えようともせず、出会った時と同じように孤独を纏う綺麗な背中。シーダと共に駆けつけた兵たちは、ナバールが近づくと道を作るように左右に避けた。ナバールは周囲を気に留める様子も見せず一定の歩幅で離れていく。
 オグマはずっと地面を睨んでいた。やがて兵たちが帰り始めてもオグマは動こうとしなかった。怒りは弱まっていったが、俯いて顔を上げない。
 シーダがそばにいることにも気づいていないのかもしれない。オグマは何かを考え込んでいるようだった。
 シーダは先にエルカイトだけを帰して、オグマを待った。
 その間に日が傾き、空も地面も赤く色づく。オグマの体についている血ももはや乾き果てていた。
 この調子で待っていたら夜になってしまう。シーダは松明を持っていなかった。
「オグマ、一緒に帰りましょう」
 強引に腕を引くと、オグマはようやく顔を上げた。
「シーダ様……」
 それきり口を閉ざしたオグマは、それでも足だけは動かしてシーダに着いてきた。
 ここまで弱ったオグマを見るのは随分と久々だった。それこそ、初めて出会った時以来のことかもしれない。
 鎧に残った傷はまっすぐで、防いだ形跡すら見られない。オグマは、黙ってナバールに斬られることを——死ぬ道を受け入れたのではないだろうか。
 自分よりずっと太く大きな腕を引きながら、シーダは思わず疑っていた。
「ねえ、オグマ」
 無意識にオグマの名を呼んで、唇が震えていることに気づいた。
 聞けない。ナバールの手で死のうとしたのかなんて、聞けるはずがなかった。
 取り繕う方法を思案している間に、オグマは都合よく言葉を捉えてくれた。
「アイツらには、申し訳ないことをしました」
 オグマは情けなさそうに自身の鎧を見つめていた。シーダが引いている手と反対の人差し指が、静かに傷をなぞる。
「きっとわかってくれるわよ」
「そうだと、よいのですが」
 オグマは歯切れ悪く呟いた。
 周囲はすっかり闇に包まれていた。
 重たい夜道を無言で歩く。オグマが消えないように腕だけをきつく握りしめて、今にも押しつぶされそうな沈黙を耐えた。
 
 
 
 城に篭ってからもドルーアの軍勢は度々攻撃を仕掛けてきた。その度に少数の兵が交代で出て敵を倒す。
 オグマも翌日には調子を取り戻して、歴戦の戦いぶりを見せていた。
 戦いが終わるなり、オグマは四十五度のお辞儀と共に謝罪の言葉を伝えてきた。
 シーダは謝罪を受けとらなかった。オグマがかけたのは迷惑ではなく心配だったからだ。そのままをオグマに伝えると、青い目が驚いたように丸まった。オグマの部下たちにも、似たようなことを言われたのだという。鎧が傷ついたことで俺たちがするのは、隊長の心配だ。鎧が壊れても隊長が無事なら構わない、と。そして、しばらく三方向から縋りつかれ、なかなか解放されなかったらしい。
「あなたは、皆に愛されてるのね」
 笑いかけると、オグマは困りきったようすで作り笑いをした。
 一方で、マルスは状況の歯痒さに日々頭を悩ませているようだった。苦しんでいる民がいるというのに、パレス奪還に向けた動きは停滞してしまっている。軍を率いる立場として少なからず責任を感じているようだった。
 シーダはそんなマルスを勇気づけようと、マリクと交互にマルスの近くで過ごすようにしていた。
 昼下がり。城の中庭をマルスとゆったり歩いていると、どこからか現れたナバールが声をかけてきた。
 ナバールが軍内で自分から声をかける相手は、マルスとオグマしかいない。だからシーダはマルスにまたあとで、と伝えてその場を離れようとした。
「ちがう、用があるのはお前だ」
 ぶっきらぼうな声に、シーダとマルスは揃って素っ頓狂な声を返した。
「え、」
 ナバールがシーダに話しかける用件が思い当たらない。助けを求めるようにマルスを見ると、マルスも同じように困惑の最中にあった。ナバールは戸惑う二人を気にするそぶりも見せず、一方的に話を続けた。
「あいつのことを教えろ」
 すぐに、オグマのことを言っているのだと理解した。理解はしたが、予想外の出来事にどう答えればいいのか分からない。露骨に首を傾げてシーダは戸惑った。
 戸惑っているうちに、先刻シーダがそうしようとしたように、マルスが気を利かせて離れていった。
 風に乗って花の香りがした。ほのかに甘く香る匂いには懐かしい覚えがあったが、花の名前を思い出せない。
 血の臭いがしない場所でナバールと向き合っているのは、随分と奇妙な心地だった。
 花の香りが運ばれてくるのに合わせて、ナバールの、夜に一番近い夕焼けのように赤みがかった茶髪が揺れた。髪と同じく薄らと赤みを帯びている瞳はいつになく寂しそうだ。
 珍しく怒りを見せていたオグマと、放心していたナバール。孤独を纏いながら去った背中。シーダの中で昨日の光景が鮮明に呼び起こされた。
 返事を待ち兼ねたのか、ナバールはひとりでにぼやいた。
「あいつは、お前があいつの弱さになると言ったら怒った。……俺には、その理由がわからない」
 最初は冗談だと思った。だが、ナバールは友達と初めて喧嘩をした子供のように、純粋な助けを求めていた。
「なぜ、事実だけであいつはムキになったんだ……。お前なら、わかるのか」
 シーダはオグマの怒りの理由を理解した。きっと、オグマはシーダのために怒ったのだ。考えをそのまま形にしただけの飾られていないナバールの言葉が、シーダを貶めたように聞こえたのだろう。
 あるいはナバールのためとも考えられるが、オグマがナバールを想ってあそこまで露骨に怒る姿は想像できなかった。
 どちらにしても、オグマが怒った原因がナバールの言葉にあったのならば、シーダから教えられることは何もない。下手に教えれば、ナバールのように不器用な男はそれを火種に変えてオグマを更に怒らせるだろう。
「そういうことは、ちゃんと本人の口から聞くものよ」
 シーダが説くと、ナバールの眉間に皺が寄った。困っているのだと想像はできても、端正な顔立ちに生じた歪みには鋭い刀を間近で見る時のような恐ろしさがある。
「もう聞いた」
 どことなく憂いを帯びた声に、ナバールは最後の手段としてシーダを頼ってきたのだと悟った。
 シーダは目の前の男を正しく導けるか不安だった。オグマとナバールは本質的な部分でよく似ているが、ナバールはオグマよりもずっと自由で、感情に素直だ。長いこと一人で生きてきたがために、人との関わり方を知らないのだろう。協調性にも欠けている。
(いえ、弱気になっちゃ駄目よ。わたしが彼をこの軍に誘ったのだから)
 心の中で活を入れて、あえて厳しくナバールを突き放した。
「それなら尚更、わたしからは話せない」
「……」
「大丈夫。オグマはちゃんと向き合おうとする人を、無下に扱うような意地悪じゃないから」
 ナバールはまだ何やら言いたそうにしていたが、そのまま口を噤んだ。
 遠ざかる背中を眺めながら、シーダはナバールに真意が正しく伝わったのか悩んだ。
 悩んでから、きっと大丈夫だろうと思う。
 ナバールは悪人ではない。人付き合いに不慣れなだけだ。そうでなければ、シーダにオグマのことを聞きに来るはずがない。
 人は似通いすぎると反発する。けれど、似ているからこそ埋められる隙間もある。ナバールにとってのオグマは既にそういう存在なのだろう。
 風が吹いてほのかに甘い香りがした。懐かしい香りの正体をシーダは思い出した。
(これは、昔オグマの見舞いに摘んだ花ね)
 オグマも覚えているだろうか。
 シーダはあたりを見渡して、清楚な白い花を探した。

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