感想メモ 2025/01/26 Sun オーラマハヴェンナ#乙女ゲーム 続きを読むオーラマハヴェンナ、初見の時に号泣した好きな演目ではあるのだけれど、本格的にあわあわ言い始めたのは完全に介さんが原因です。だって、介さんって孤児で、ずっと自分の居場所が欲しくて、でもそんな感情押し殺して恩を返すように教会の子供達の遊び相手になってあげるような人なんですよ。そんな人がどんな気持ちでハヴェンナの神父を演じるの?!って思ってたら、だんだん作中劇の中の神父が気になってしまって……。神父と介さんがリンクしすぎて、見るたびにこれは介さんの成長のために根地先輩が用意した役なんだなって思い知らされるんですよ。もう、根地先輩、睦実介への解像度が高すぎる。そういえば、最初に脚本を配る時根地先輩が「自分でも何が面白いのかわかんない!」って言ってたけど、これって根地先輩が女性に対して苦手意識が強いのに、ハヴェンナが女性の、それも根地先輩が恐れる恋愛感情を魅せてくる作品だからなんだろうな。身勝手な恋慕、嘘、裏切り。恋という欲のためにあっちこちで火種が燻り、ダブルアルジャンヌではあるけど話を動かすのは主役をとりまく男関係。根地先輩、よくこれ書けたな。天才だな。そしていろいろ想いを馳せてたら一次創作者様の二次創作を見つけてしまい、さらにはその情報みてあれっ?となりステージスクリプト読んだら、作中でカットされてるセリフの存在を知り、もう祭りも祭りですよ。※以降お寿司先生の二次創作前提。◇ミゲルもうねえ、ミゲルの嘘が刺さってしまった。ドミナとルキオラの会話に居合わせてしまったことで、ミゲルはチッチ、ルキオラと今まで通りには過ごせなくなることが分かってしまったんだろうな。それでハヴェンナを出て行くと決断したから、恋を終わらせるため素直になったのかな。それとも、懺悔するルキオラに道を与えたかったのかな。でも、ミゲルは愛する人の夢は壊したくなかったんだね。なんかこのあたりが、キサちゃんの正体に気づいてるけど、キサちゃんの夢を壊さないために黙っているフミさんとも微妙に重なる……。あと、ミゲルは多分チッチのことも信用してる(外の世界の真実をルキオラに教えないと信じてる)から、嘘でルキオラとの関係を終わりにできたのだろうね。だって、別れ際にミゲルが嘘をついて去ったと知れば、多分ルキオラは傷つくよ。ルキオラは嘘が嫌いだもの。もう、ミゲルずるい人だよ。◇ルキオラわたし、ハヴェンナの中でルキオラだけは嘘がない人だと思ってたんです。家庭環境で色々あった彼女は、人に正直な発言を許したり求めたりしてたから、嘘が嫌いなのかなって。だから偽りの幸せで快楽を享受するハヴェンナが息苦しいのかなって。それが、お寿司先生の書き物で狂ってしまった。彼女、生まれの本名はルクシオなのに、ルキオラを本名だと言って、彼女、親友や友人に自分の本名隠してるってこと???(ミゲルの小説に、ルキオラが本名って出てくるから、ミゲルは少なくともルキオラが本名だと思っている)お寿司先生のルキオラの記載には名前を変えたってあるけど、ちゃんとした戸籍システムも無さそうなハヴェンナですよ。生まれの名を口にせず自分で変えた名前を本名だと伝えるのは、真実を伝えず自分のことを隠すことで、チッチと似たようなことしてると思うんだ。まあ、相手がそれを嫌悪すると知っているかの差はあるけど。ルキオラ、ハヴェンナの金持ちの娘って知られたくなかったのかな。それとも、本当に父の名との音だけを気にしていたのかな。でも、このことに関して彼女は嘘をついてるとは思ってないんだろうね。互いの関係に必要のない真実を語っていないだけ。◇チッチねえ、この子もしかしてルキオラにだけは本当のこと教えるね、で教えた「ただヨモギ売りになってみたかったの」という言葉すら真実を隠してないか???ステージスクリプト読むと、チッチって食うに困って路地裏で震えてたところをドミナに拾われただけで、自分からヨモギ売りになったわけじゃないんですよ。「何でもいいから、温かいご飯を食べてベッドで眠りたかった」を「ヨモギ売りになってみたかった」という言葉で上書きしていませんか?でも、この嘘は多分ルキオラを守るための嘘なんですよね。チッチは、ルキオラがヨモギ売りを嫌悪して汚らわしい職業だと言っていたことを知っている。チッチが生きるのに困ってヨモギ売りになったなんて言ったら、罪を許し合った後でも、ルキオラはひどいことを言ったと気にしちゃうんじゃないかな。ルキオラ、基本的に心が清らかなので。だからハヴェンナの街に溶け込めないし、清らかじゃないものの多い場所で怒ってばかりなんだろうけど。あと、チッチが外の話題を避ける理由、ルキオラのハヴェンナがチッチにとっては外の世界だからなのでは??オープニングの夢や希望に満ちた少女の演技をみると、チッチってハヴェンナに現状からの救いを見ているように思えてならない。ルキオラがハヴェンナを嫌うように、チッチは外の世界を嫌っているんじゃないかなあ。全て想像ですが。ラストシーン、神父によってハヴェンナに染められた彼女が神父をよりハヴェンナに染めるのたまらないね。そして多分、この客をとったことを、チッチはルキオラにわざわざ話さない気がする。◇神父この神父、カイさんの演技の変化を見て、根地先輩が魅せ方を作り替えてるのよね、多分。カイさんとの散策会話のどこかで、根地先輩が衣装パーツのネックレスの上下を変える場面があったのよ。それで、神父の抱える罪の意識をより大きくした。彼は聖書を読めなくなっても、そこに対していいことが書いてあった気がすると、そう思って人々の懺悔を聞く人だから、やっぱりまがいなりにも信仰心はあるのだと思う。お寿司先生の解釈を読む限りは、人々の罪を聞くことで自分が犯した罪の重さをやわらげようとしてる人なんだものね。逆十字のモチーフは、現代だと反宗教の意味合いで使われることもあるらしいけど、もしそうなら神父として欲に素直になれずおさえて懺悔を聞く姿とバランスが取れないなって。わたしは、彼が信仰を手放したのはつけ加えられたラストシーンだと思います。懺悔を聴くだけでは救われず、苦しく、眠れず、ハヴェンナにあふれる快楽に手を伸ばしたいという欲望を神父は受け入れてしまった。その瞬間、神父は本当の意味でハヴェンナの男になった。でもきっと、目が覚めたら男はまた懺悔室へ向かう。ヨモギ売りの元へ通いながら、神父であることもやめられない男は、まさに欲に素直なハヴェンナそのもの。と、こんな感じで考えています。んーー、このキャラ、もはや考えすぎて思考がまとまらなくなっている。最後にちょっとカイさんとのリンクをテーマに書かせてください。介さんにとっての教会って、恩を感じる場所で、いつまでも居ることはできなくても、冷ややかな目を向けるつながりの薄い親戚から自分を守ってくれた場所なんですよね。そんな大事な場所で人々の懺悔を聞く神父。介さんの背景を考えれば当然、この神父が神父らしい存在になるのはわかるんですよ。でも、根地先輩が求めたのはハヴェンナの神父で、ハヴェンナの神父は他の神父とは違う。欲望と快楽の街で、それらを抑えこんで神に仕える存在ってまともじゃない。そのギャップがカイさんの成長のポイントで、根地先輩は、カイさんにもラストシーンの神父のように舞台に対してみせる欲を持って欲しかったんじゃないかな。神父はセリフこそ少ないけれど、チッチの始まりであり、少ないセリフで存在感を見せないと埋もれてしまう役。でも、物語内の役割が実は重要で、懺悔を聴く神父の存在が弱いと、何故欲望に生きて信仰心の薄そうなハヴェンナの者が、わざわざ罪を懺悔しに教会へ行くのかわからなくなってしまう。言葉少なながら壁のように人々の懺悔を聴き、許しを与える神父の存在があるから、懺悔室へ行く理由がわかるんですよね。ただの教会ではない、ただの懺悔ではない、教会は人々の愚かな欲の墓場だとわからせなきゃいけない。ハヴェンナの神父の印象が弱まると、いくつかの場面やセリフの説得力が吹き飛んでしまう。それを端役のように言って介さんに振るんだから、根地先輩も人が悪い。秋公演を見た時に、多分根地先輩は介さんがこの先も舞台に立つために必要なものが、舞台への執着だと気づいていたんだろうな。うーーん、すごい。やっぱり介さんのための役だ。ラストシーン書かずに原稿を渡したのも、与えられた役割をこなすだけではなく、介さんの舞台への欲が、チャンスを引き寄せることに気づいて欲しかったからなのかもな。と、毒にも薬にもならない感想をこねこねしてたら、字数がとんでもないことになってきた。ドミナ、ジレ、フギオー、ファキオ、ごめん。君たちも好きです。特に、ジレとフギオーはラストシーンの前に互いを理解しあったあたりがいいよね。彼らは良き友人になれると思うよ。畳む
#乙女ゲーム
オーラマハヴェンナ、初見の時に号泣した好きな演目ではあるのだけれど、本格的にあわあわ言い始めたのは完全に介さんが原因です。
だって、介さんって孤児で、ずっと自分の居場所が欲しくて、でもそんな感情押し殺して恩を返すように教会の子供達の遊び相手になってあげるような人なんですよ。
そんな人がどんな気持ちでハヴェンナの神父を演じるの?!って思ってたら、だんだん作中劇の中の神父が気になってしまって……。
神父と介さんがリンクしすぎて、見るたびにこれは介さんの成長のために根地先輩が用意した役なんだなって思い知らされるんですよ。
もう、根地先輩、睦実介への解像度が高すぎる。
そういえば、最初に脚本を配る時根地先輩が「自分でも何が面白いのかわかんない!」って言ってたけど、これって根地先輩が女性に対して苦手意識が強いのに、ハヴェンナが女性の、それも根地先輩が恐れる恋愛感情を魅せてくる作品だからなんだろうな。
身勝手な恋慕、嘘、裏切り。
恋という欲のためにあっちこちで火種が燻り、ダブルアルジャンヌではあるけど話を動かすのは主役をとりまく男関係。
根地先輩、よくこれ書けたな。天才だな。
そしていろいろ想いを馳せてたら一次創作者様の二次創作を見つけてしまい、さらにはその情報みてあれっ?となりステージスクリプト読んだら、作中でカットされてるセリフの存在を知り、もう祭りも祭りですよ。
※以降お寿司先生の二次創作前提。
◇ミゲル
もうねえ、ミゲルの嘘が刺さってしまった。
ドミナとルキオラの会話に居合わせてしまったことで、ミゲルはチッチ、ルキオラと今まで通りには過ごせなくなることが分かってしまったんだろうな。
それでハヴェンナを出て行くと決断したから、恋を終わらせるため素直になったのかな。それとも、懺悔するルキオラに道を与えたかったのかな。
でも、ミゲルは愛する人の夢は壊したくなかったんだね。なんかこのあたりが、キサちゃんの正体に気づいてるけど、キサちゃんの夢を壊さないために黙っているフミさんとも微妙に重なる……。
あと、ミゲルは多分チッチのことも信用してる(外の世界の真実をルキオラに教えないと信じてる)から、嘘でルキオラとの関係を終わりにできたのだろうね。
だって、別れ際にミゲルが嘘をついて去ったと知れば、多分ルキオラは傷つくよ。
ルキオラは嘘が嫌いだもの。
もう、ミゲルずるい人だよ。
◇ルキオラ
わたし、ハヴェンナの中でルキオラだけは嘘がない人だと思ってたんです。
家庭環境で色々あった彼女は、人に正直な発言を許したり求めたりしてたから、嘘が嫌いなのかなって。だから偽りの幸せで快楽を享受するハヴェンナが息苦しいのかなって。
それが、お寿司先生の書き物で狂ってしまった。
彼女、生まれの本名はルクシオなのに、ルキオラを本名だと言って、彼女、親友や友人に自分の本名隠してるってこと???(ミゲルの小説に、ルキオラが本名って出てくるから、ミゲルは少なくともルキオラが本名だと思っている)
お寿司先生のルキオラの記載には名前を変えたってあるけど、ちゃんとした戸籍システムも無さそうなハヴェンナですよ。
生まれの名を口にせず自分で変えた名前を本名だと伝えるのは、真実を伝えず自分のことを隠すことで、チッチと似たようなことしてると思うんだ。
まあ、相手がそれを嫌悪すると知っているかの差はあるけど。
ルキオラ、ハヴェンナの金持ちの娘って知られたくなかったのかな。それとも、本当に父の名との音だけを気にしていたのかな。
でも、このことに関して彼女は嘘をついてるとは思ってないんだろうね。
互いの関係に必要のない真実を語っていないだけ。
◇チッチ
ねえ、この子もしかしてルキオラにだけは本当のこと教えるね、で教えた「ただヨモギ売りになってみたかったの」という言葉すら真実を隠してないか???
ステージスクリプト読むと、チッチって食うに困って路地裏で震えてたところをドミナに拾われただけで、自分からヨモギ売りになったわけじゃないんですよ。
「何でもいいから、温かいご飯を食べてベッドで眠りたかった」を「ヨモギ売りになってみたかった」という言葉で上書きしていませんか?
でも、この嘘は多分ルキオラを守るための嘘なんですよね。
チッチは、ルキオラがヨモギ売りを嫌悪して汚らわしい職業だと言っていたことを知っている。チッチが生きるのに困ってヨモギ売りになったなんて言ったら、罪を許し合った後でも、ルキオラはひどいことを言ったと気にしちゃうんじゃないかな。
ルキオラ、基本的に心が清らかなので。だからハヴェンナの街に溶け込めないし、清らかじゃないものの多い場所で怒ってばかりなんだろうけど。
あと、チッチが外の話題を避ける理由、ルキオラのハヴェンナがチッチにとっては外の世界だからなのでは??
オープニングの夢や希望に満ちた少女の演技をみると、チッチってハヴェンナに現状からの救いを見ているように思えてならない。
ルキオラがハヴェンナを嫌うように、チッチは外の世界を嫌っているんじゃないかなあ。
全て想像ですが。
ラストシーン、神父によってハヴェンナに染められた彼女が神父をよりハヴェンナに染めるのたまらないね。
そして多分、この客をとったことを、チッチはルキオラにわざわざ話さない気がする。
◇神父
この神父、カイさんの演技の変化を見て、根地先輩が魅せ方を作り替えてるのよね、多分。
カイさんとの散策会話のどこかで、根地先輩が衣装パーツのネックレスの上下を変える場面があったのよ。
それで、神父の抱える罪の意識をより大きくした。
彼は聖書を読めなくなっても、そこに対していいことが書いてあった気がすると、そう思って人々の懺悔を聞く人だから、やっぱりまがいなりにも信仰心はあるのだと思う。
お寿司先生の解釈を読む限りは、人々の罪を聞くことで自分が犯した罪の重さをやわらげようとしてる人なんだものね。
逆十字のモチーフは、現代だと反宗教の意味合いで使われることもあるらしいけど、もしそうなら神父として欲に素直になれずおさえて懺悔を聞く姿とバランスが取れないなって。
わたしは、彼が信仰を手放したのはつけ加えられたラストシーンだと思います。
懺悔を聴くだけでは救われず、苦しく、眠れず、ハヴェンナにあふれる快楽に手を伸ばしたいという欲望を神父は受け入れてしまった。
その瞬間、神父は本当の意味でハヴェンナの男になった。でもきっと、目が覚めたら男はまた懺悔室へ向かう。ヨモギ売りの元へ通いながら、神父であることもやめられない男は、まさに欲に素直なハヴェンナそのもの。
と、こんな感じで考えています。
んーー、このキャラ、もはや考えすぎて思考がまとまらなくなっている。
最後にちょっとカイさんとのリンクをテーマに書かせてください。
介さんにとっての教会って、恩を感じる場所で、いつまでも居ることはできなくても、冷ややかな目を向けるつながりの薄い親戚から自分を守ってくれた場所なんですよね。
そんな大事な場所で人々の懺悔を聞く神父。
介さんの背景を考えれば当然、この神父が神父らしい存在になるのはわかるんですよ。
でも、根地先輩が求めたのはハヴェンナの神父で、ハヴェンナの神父は他の神父とは違う。
欲望と快楽の街で、それらを抑えこんで神に仕える存在ってまともじゃない。
そのギャップがカイさんの成長のポイントで、根地先輩は、カイさんにもラストシーンの神父のように舞台に対してみせる欲を持って欲しかったんじゃないかな。
神父はセリフこそ少ないけれど、チッチの始まりであり、少ないセリフで存在感を見せないと埋もれてしまう役。
でも、物語内の役割が実は重要で、懺悔を聴く神父の存在が弱いと、何故欲望に生きて信仰心の薄そうなハヴェンナの者が、わざわざ罪を懺悔しに教会へ行くのかわからなくなってしまう。
言葉少なながら壁のように人々の懺悔を聴き、許しを与える神父の存在があるから、懺悔室へ行く理由がわかるんですよね。
ただの教会ではない、ただの懺悔ではない、教会は人々の愚かな欲の墓場だとわからせなきゃいけない。
ハヴェンナの神父の印象が弱まると、いくつかの場面やセリフの説得力が吹き飛んでしまう。
それを端役のように言って介さんに振るんだから、根地先輩も人が悪い。
秋公演を見た時に、多分根地先輩は介さんがこの先も舞台に立つために必要なものが、舞台への執着だと気づいていたんだろうな。
うーーん、すごい。やっぱり介さんのための役だ。
ラストシーン書かずに原稿を渡したのも、与えられた役割をこなすだけではなく、介さんの舞台への欲が、チャンスを引き寄せることに気づいて欲しかったからなのかもな。
と、毒にも薬にもならない感想をこねこねしてたら、字数がとんでもないことになってきた。
ドミナ、ジレ、フギオー、ファキオ、ごめん。
君たちも好きです。
特に、ジレとフギオーはラストシーンの前に互いを理解しあったあたりがいいよね。
彼らは良き友人になれると思うよ。
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