ののはなメモ帳

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宵闇 (モーヴさんの短編小説)

 嫌な赤色だ。
 夕焼けを見るたびに、そう感じた。
 人格を歪められた主君の姿を思い出すからだ。主君の、純真な青の瞳が夕焼けの赤に染まった時、モーヴが騎士として仕えるヴェイルは失われていた。
 けれど、モーヴは「ヴェイル」に仕え続けた。
 本当にヴェイルの騎士であるのなら、小さな手を引き逃げ出すべきだったのかもしれない。人格を歪められた「ヴェイル」は嫌がるだろうが、それでもモーヴが仕える相手は違う存在なのだから。
 そうしなかったのは、家族という居場所を切り離せなかったからだ。
 イルシオンの教会に連れていかれてから、モーヴはいつも母と二人ぼっちだった。間も無く母が死んでからは一人ぼっちになった。
 認めたくはないが、モーヴは家族という繋がりに飢えていた。寂しい人間だという自覚はあった。
「四狗は家族」
 呪いの言葉を唱え、悩みに目を瞑り、ヴェイル様のためと言い訳をして戦う日々。暗闇の中で一筋の糸に縋りつくような生活。
 迷うたびに、ヴェイルが目覚めたばかりの頃を思った。
 
 思い返せば、ヴェイルが目覚めた日も、教会の小さな窓から夕陽が差し込んでいた。茜色に色づいた空間をいつものように掃除していた時、いつも寝たままの少女——モーヴが信仰する邪竜の娘だと言われている——が突如として起き上がった。
「あれ、みんなは。あなたは……?」
 見回すなり尋ねてきた少女を、モーヴは随分と冷静に眺めていた。こんなにも綺麗な少女が眠ったままでいる方がモーヴにとっては不思議なことだったのだ。
 初めて見た少女の瞳は、故郷フィレネを思い出すやわらかな空色をしていた。
「みんなとは、誰のことですか」
「私が眠る前に、ここにいた人たちよ」
 眠る前ということは、千年近くも前の人たちのことを指しているのだろう。
 流石にどう答えるべきか悩んでいると、ヴェイルは申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい、生きているはずがないってことはわかっているの」
「ヴェイル様はおよそ千年間ここで眠り続けていらしたと聞いております」
「千年……そうなのね」
 呟いたヴェイルの姿はどことなく孤独だった。
 孤独を残したまま、ヴェイルは表情だけを明るくして言った。
「ねえ、あなたの名前は?」
「モーヴです」
 寂しさを断ちきれずとも前を向く姿。その姿は、モーヴにはあまりに眩しすぎた。同時に、少女の孤独に自身の孤独を重ね合わせていた。
 それ以降、モーヴはヴェイルが望む限り傍にいた。孤独なヴェイルの話し相手として過ごした。
 友達になって欲しいと求められた時にはあまりの恐れ多さに断ってしまったが、それ以外の願いはなるべく応えながら過ごした。
 そして、一介の邪竜信徒でしかなかったモーヴはヴェイルの騎士となり、流されるまま四狗の一員に加わった。
 気づけば人々の敵となり槍を振っていた。
 
(やはり、ヴェイル様を置いては去れない)
 この感情も言い訳に過ぎないと心の片隅では理解していた。
 ひとりぼっちのヴェイル様の話し相手として仕えながら、孤独を埋めていたのはモーヴも同じだ。
 去れなかったのはヴェイルのためではない。去ったところで行く宛のない自分自身のためだ。
 
 迷いを断ち切れず、ヴェイルを置いては去れないと言い聞かせ、耐え忍んで過ごす日々。
 そんなモーヴに決断をさせたのは、皮肉にもモーヴが縋っていた糸——四狗に裏切られたことだった。
 ヴェイルの人格を歪める装置を手にしたセピアは、モーヴが戻ってから装着させるということに頷いた。けれども、神竜を足止めして戻った時には、ヴェイルの頭に邪悪な角の生えた道具が装着されていた。
 その瞬間、モーヴの中に裏切られたという感情が渦巻いた。ヴェイルの騎士であるというのに、たった一人仕える主君のことすら守ってやれない自分自身を情けなく思った。
 拳を握りしめた時、何度も戦ってきた相手である神竜の言葉を思い出した。
「私はヴェイルを助けたいのです」
 青と赤の混ざった瞳を持つ存在はモーヴと同じ思いを抱いていた。
 今、ヴェイルに必要なことはその意思を無視してまで四狗に留まりそばにいてやることではない。
 四狗に縋り続けていては、ヴェイルは孤独なまま救われない。
 ヴェイルは可哀想なまま、利用されて居なくなってしまうだろう。
 モーヴは意を決して、デスタン大教会にやってきた神竜に接触を試みた。
 敵だった己を信じてもらえるかはわからない。
 だが、ヴェイルを助けたいと真っ直ぐに願った神竜であれば、言葉を聞いてくれるかもしれないと思ったのだ。
 
 
「モーヴ、どうかしたの?」
 やわらかな声で呼ばれて振り返ると、目覚めた時と変わらないヴェイルの双眸が見上げていた。
「ヴェイル様。宿に戻られたのではなかったのですか」
「そのつもりだったけど、モーヴが悲しそうな顔で立っていたから」
 ヴェイルは腰に手を当てて軽く頬を膨らませた。用事があると偽り一人で感傷に浸っていたことを責めているつもりなのだろう。
 正直、怒られている気分にはならない。それどころか、瞳の色に救いを感じていた。
「ヴェイル様の瞳は、綺麗な色をしていますね」
「もう、誤魔化さないでよ」
「本当のことです。あなたの瞳を見ると、この青さを守れたことに安心するのです」
 偽りなき本心を飾らず言葉にすると、ヴェイルは恥ずかしそうに俯いた。
「さあモーヴ、行きましょう。綺麗な夕日があるうちに」
 二人が目指すのは、浮上したままとなっているグラドロンの地だ。
 茜を背に宿へ向かうヴェイルの背をモーヴは追うように歩いた。
 心の中で己の神に平和を感謝しながら、この先いつまで続くかわからない人生の中でいつか訪れる赦しを願い、前へ進んだ。

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